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志道元保 : ミニ英和和英辞書
志道元保[しじ もとやす]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こころざし]
 【名詞】 1. will 2. intention 3. motive 
道元 : [どうげん]
 (n) Zen monk, 1200-1253
: [げん, もと, がん]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 4. (2) former 
: [ほ]
  1. (n,vs) guarantee 

志道元保 : ウィキペディア日本語版
志道元保[しじ もとやす]
志道 元保(しじ もとやす、天文5年(1536年) - 天正10年10月23日1582年11月18日)〔『島根県史』第8巻〕)は、戦国時代安土桃山時代武将安芸毛利氏の家臣。志道城主。志道広良の孫で、父は志道広長(ひろなが)〔武将系譜辞典 大内家人名録 〕。父が若年に死去したため、祖父の後継となる。弟に志道良泰(よしやす)。子は志道元規(もとのり)、椙杜隆康の養子となった志道元縁
== 生涯 ==
父が1539年に死去し、その後継として志道氏を相続した。1555年厳島の戦い直前に、陶方に味方した野間隆実矢野城の攻略に参加。1557年、志道元保は阿曽沼広秀福原貞俊らと供に長門国且山城を攻撃し、抵抗を続ける内藤隆世を自害に追い込み、大内義長が籠る長福寺を包囲して、義長を自害させた。
1566年月山富田城の戦いにも参加して戦功を挙げた。その功もあり、元保は本領の志道荘だけではなく、安芸国有富、西条八名、周防国高尾、出雲国多久和を知行し、安芸国中麻原代官を務めた。
1585年椙杜隆康の後継者が不在となったため、子の志道元縁をその養子として椙杜氏を継承させている。
子孫は、代々、萩藩寄組として続いた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「志道元保」の詳細全文を読む




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