翻訳と辞書
Words near each other
・ 忠州
・ 忠州の戦い
・ 忠州ヒュンメルFC
・ 忠州世界武術祭り
・ 忠州大学校
・ 忠州市
・ 忠州文化放送
・ 忠州警察署
・ 忠州運転免許試験場
・ 忠州駅
忠幸王
・ 忠延
・ 忠快
・ 忠恕
・ 忠恵王
・ 忠惠王
・ 忠愛
・ 忠成会
・ 忠成王
・ 忠房親王


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

忠幸王 : ミニ英和和英辞書
忠幸王[おう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [さち]
 【名詞】 1. happiness 2. wish 3. fortune 
: [おう]
  1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi) 

忠幸王 ( リダイレクト:広幡忠幸 ) : ウィキペディア日本語版
広幡忠幸[ひろはた ただゆき]

広幡 忠幸(ひろはた ただゆき)は、江戸時代前期の公卿皇族として生まれ、のちに臣籍降下して広幡家を創設し、その初代当主となった。正式の姓名は、源 忠幸(みなもと の ただゆき)である。「忠」の字は兄・八条宮智忠親王より偏諱を賜ったものであり、やがて広幡家の通字となっていった。
== 生涯 ==
1624年(寛永元年)に正親町天皇の皇孫で八条宮家(桂宮家)の始祖である八条宮智仁親王と京極常子(丹後宮津藩主・京極高知の娘)の第3王子として八条宮家(桂宮家)に生まれる。1649年(慶安2年)12月11日、尾張藩主・徳川義直の長女・京姫と婚約、同時に徳川義直の猶子となる。1650年(慶安3年)1月3日、加冠の儀を行い、元服する。同年2月9日、京都を出発、2月13日名古屋に到着する。以後、名古屋城で暮らす。同年2月28日、京姫と結婚する。尾張藩からは合力米3000石を献上されていた。
しかし、1660年(万治3年)4月には京都に戻り、朝廷に対し松殿家1646年(正保3年)に途絶えていた)を再興するなどして、公家に戻ることを願う。一方、実兄の八条宮智忠親王は、皇族になることを進言した。
1663年(寛文3年)11月、霊元天皇より源姓が下賜され臣籍に下ることとなった(正親町源氏)。12月には「広幡」の家号も与えられ、新たに家を興すことが許された。広幡家の公家としての家格は村上源氏嫡流久我家と同じく、清華家とされた。
1665年(寛文5年)に名古屋から京都へ戻り、以降は公家町に邸宅を構え、朝廷に出仕した。同年中に従三位権中納言を拝命し、さらに左中将に任じられている。1667年(寛文7年)に正三位となり、1668年(寛文8年)には権大納言に就任したが、その翌年に薨去している。享年46。
なお、1667年(寛文7年)3月16日に広幡家の所領として近江国蒲生郡など1000石を賜っているが、豊忠の代に家禄が500石に減らされ、広幡家は以後この家禄で明治維新を迎える。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「広幡忠幸」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.