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忠犬タマ公 : ミニ英和和英辞書
忠犬タマ公[ちゅうけんたまこう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

忠犬 : [ちゅうけん]
 (n) faithful dog (Hachiko)
: [いぬ]
 【名詞】 1. dog (carnivore, Canis (lupus) familiaris) 
: [こう]
  1. (n,suf) prince 2. lord 3. duke 4. public 5. daimyo 6. companion 7. subordinate

忠犬タマ公 : ウィキペディア日本語版
忠犬タマ公[ちゅうけんたまこう]
忠犬タマ公(ちゅうけんタマこう)は、新潟県中蒲原郡川内村(のちの村松町、現在の五泉市村松地区)にて飼われていたメスの柴犬である。飼い主を2度にわたり雪崩から救ったことから、忠犬として知られている。
== 概要 ==
昭和の初めの頃、新潟県中蒲原郡川内村で猟師をしていた刈田吉太郎が飼っていた猟犬である。
1934年昭和9年)2月5日1936年(昭和11年)1月10日の2度にわたり、刈田吉太郎が猟場にて雪崩に巻き込まれたのを助けたことにより、地元新聞やラジオに大きく取り上げられた。
1937年(昭和12年)当時の川内村立川内小学校〔のちの村松町立、五泉市立。2012年3月の校区統廃合により閉校し、翌4月に市内石曽根に新設された五泉市立愛宕小学校に統合された。〕校長の呼びかけで、銅像が川内小学校と新潟市白山公園に建立された。このうち、白山公園に建立された銅像は第二次世界大戦中に銅鉄供出されたが、1958年(昭和33年)に再建運動が起き、翌1959年(昭和34年)、皇太子明仁親王今上天皇)と正田美智子皇后)のご成婚を記念して2代目が建立された。また、1982年(昭和57年)には上越新幹線開通を記念して、新潟駅南口駅舎2階の新幹線コンコースに銅像が建立された。さらに、五泉市にある村松公園にも銅像が建立されており、合わせると、新潟県内には4基の忠犬タマ公の銅像が存在する〔新潟駅には「忠犬タマ公」の銅像があるそうですが、実在した犬なのですか。 - レファレンス協同データベース〕〔忠犬タマ公像 - 新潟県公式観光情報サイト にいがた観光ナビ〕。
また、当時横須賀市に在住していた新潟県出身の退役大日本帝国海軍将兵が、この話に感動し、1936年(昭和11年)にタマ公が寝起きしている場所の土を貰い受け、横須賀市衣笠山登山道にその土を埋め、その上に高さ約2mの石碑を建立した。この石碑の揮毫は、当時横須賀市長であった小泉又次郎によるものであった〔 - 横須賀観光ボランティアガイドの会〕〔忠犬タマ公がとりもつ秋の贈り物~新米こしひかりが2俵~ - 横須賀市、2013年10月4日〕。当時の村松町川内地区と横須賀市衣笠地区はこの縁から交流を深め、2002年(平成14年)からは市民レベルでの交流が本格化し、合併後の五泉市と横須賀市は2009年(平成21年)年1月15日付で災害時相互応援協定を締結した〔横須賀市と災害時相互応援協定を締結しました - 五泉市〕。
なお、タマ公像の隣に建立されている石碑の揮毫は、小泉又次郎の孫であり、当時の内閣総理大臣であった小泉純一郎によるものである〔忠犬タマ公 - (小泉進次郎ブログの記事)〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「忠犬タマ公」の詳細全文を読む




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