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『快傑鷹』(かいけつだか)は、1924年(大正13年)製作・公開、寿々喜多呂九平脚本、二川文太郎監督による日本の劇映画であり、1954年(昭和29年)製作・公開、寿々喜多自身が監督したリメイク作品である。 == 略歴・概要 == 1921年(大正10年)11月に日本で公開された、監督フレッド・ニブロ、ダグラス・フェアバンクス主演のハリウッドの剣戟映画『奇傑ゾロ』(''The Mark of Zorro'', 1920年)を、マキノ映画製作所等持院撮影所の脚本家・寿々喜多呂九平が翻案し〔無声映画人物録 、「高木新平」の項、マツダ映画社、2009年10月26日閲覧。〕、オリジナル脚本という形で書いた。二川文太郎の監督第2作で、監督デビュー作である前作『蜃気楼』にも出演した高木新平を主演に迎えた。 本作は、1924年(大正13年)1月13日、マキノキネマの自社配給により、マキノ東京派の高松豊次郎が経営する浅草・大東京をフラッグシップに興行が行われた。なお本作に主演した高木新平は、同1924年の「争闘」のロケにおいて神戸旧居留地の大阪商船ビル屋上から隣の神戸オリエンタルホテルに吹き替えなしで跳び移ったことから「鳥人」と呼ばれ〔マツダ, p.96.〕、のちにハヤフサヒデトが「昭和の鳥人」と呼ばれた際に、「大正の鳥人」として念頭に置かれた。 本作の存在は、日本の剣戟映画が、ハリウッドの剣戟映画にいかに影響を受けたのかの証左となる作品である。のちに第二次世界大戦後、脚本を書いた寿々喜多呂九平が、加味鯨児名義で脚本を書き直し、ロクヘイ・ススキタ名義で監督してリメイクした。⇒ #1954年版 阪東妻三郎はこの作品以前は斬られ役専門の脇役だったが、「脇役をやらせるには目立って仕方がないから役をつけてしまえ」ということになり、本作で敵役「黒木原源太」の役に抜擢された。ところが白面の美剣士が敵役というので、観客も批評家もびっくりし、これが出世の糸口となって主演俳優に列することとなった。こののちの「阪妻時代」を作り出すきっかけとなった作品である〔『ひげとちょんまげ』(稲垣浩、毎日新聞社刊)〕。 1960年には『快傑鷹の羽』のタイトルでテレビドラマ化された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「快傑鷹」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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