|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 念 : [ねん] 【名詞】 1. sense 2. idea 3. thought 4. feeling 5. desire 6. concern 7. attention 8. care ・ 法 : [ほう] 1. (n,n-suf) Act (law: the X Act) ・ 真 : [まこと, しん, ま] 1. (adj-na,n) (1) truth 2. reality 3. genuineness
念法眞教(ねんぽうしんきょう)は、教祖の小倉霊現(小倉庄太郎、1886年9月9日 - 1982年3月5日)が1925年(大正14年)に立教開宗した仏教系の新宗教。 == 概要 == 小倉霊現(初代。同教団では親先生と称す)は、河内木綿を扱う商家に生まれたが、出生前に父が死去し祖父母に育てられた。しかし祖父と祖母も相次いで死去したため小学4年で中退、鍛冶屋や乾物屋で丁稚奉公の後、20歳で兵役に就いた。 除隊後に乾物屋を暖簾分けされ結婚もしたが、招集された第一次世界大戦で親友が戦死、出征中に家業を乗っ取られる、また自身の病気、長男の病死など、立て続けに起きた不幸に悩み、樋口セイ(近所に住んでいた霊媒師。同教団では霊生院と称す)に帰依し、心霊現象に傾倒した。 1925年(大正14年)8月3日に阿弥陀如来から託宣(同教団は「ご霊告」と表現し同日付で立教とする)を受け、大峰山で修験道修行の後、1928年(昭和3年)に「神仏心霊感応会」を発会し、四天王寺前に道場を設立。1931年(昭和6年)に機関紙『鶯乃聲』を創刊、戦時下の新体制運動・翼賛思想を鼓舞して教勢を拡大した。 教義に見える「世の立て直し」等の語句から、同時代の出口王仁三郎(大本)の少なくない影響も察せられるが、体制迎合的な姿勢において正反対とも言える。 1939年(昭和14年)に天台宗傘下に納まり『金剛教会』に改称したが、戦後の新宗教ブームの追い風を受け、1947年(昭和22年)に『小倉山金剛寺』の名で独立、1952年(昭和27年)には現教団名の『念法眞教』に改め、宗教法人格を取得した。 。 大阪市鶴見区の総本山金剛寺(教団本部)以下、各地に念法寺および教会を置き、独特のお練り行列で注目される。1971年(昭和46年)より民放ラジオ局にて布教番組『心のいこい』を放送し、教典である『念法法語集』などの内容を紹介・布教活動なども行っている。1973年(昭和48年)、全日本仏教会に加盟。 1982年(昭和57年)に初代小倉霊現没。次男の由貴夫(良現)が二代燈主に就任し、小倉霊現を襲名した。2001年(平成13年)に二代目小倉霊現が没し、生前に後継指名されていた稲山霊芳が三代燈主に就いたが、三代目小倉霊現は名乗っていない。初代からの路線を継承して保守的な政治活動を活発に行い、機関紙に教育勅語の原文と口語訳を連載するなどしている他、日本会議に代表会員を送り込んでいる。過去に実施された日本会議のイベントの受付では、念法真教を含む各種宗教団体別の受付窓口が設けられ、参加者を組織動員したこともあることが指摘されている〔上杉聡。「日本における『宗教右翼』の台頭と『つくる会』『日本会議』」戦争責任、39、2003年 53ページ。〕〔「日本会議に集まる宗教団体の面々」、Harbor Business Online、2015年3月11日 〕。 また、育鵬社教科書採択運動のための「教科書改善と特別基金」の募金に協力している〔「ご協力者御芳名」、『教育再生』、日本教育再生機構、2015年9月号〕。 公称信徒数は約80万人。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「念法眞教」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|