|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 子 : [こ, ね] (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November) ・ 子女 : [しじょ] 【名詞】 1. child ・ 女 : [じょ] 【名詞】 1. woman 2. girl 3. daughter ・ 女王 : [じょおう] 【名詞】 1. queen ・ 王 : [おう] 1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi)
二条 恒子(にじょうひさこ、文政9年1月20日(1826年2月26日) - 大正5年(1916年)9月20日)は、江戸時代末期の皇族、公家。明治時代から大正時代の華族。二条斉敬の正室。旧名は恒子女王。 == 経歴 == * 文政9年(1826年)、父・伏見宮邦家親王、母・女房上野寿野の子として生まれる。すぐに父の正室鷹司景子の養女となるが、景子の父関白鷹司政煕に気遣い、彼に預けられる。幼称は岡宮。 * 文政13年(1830年)まで祖父・伏見宮貞敬親王と祖母・一条輝子に養育される。 * 天保2年(1831年)に二条斉敬に嫁ぐ。 * 安政6年(1859年)、従四位下に叙された。 * 文久2年(1862年)、従三位に叙された。 * 文久4年(1864年)、従二位に叙された。 * 慶応3年(1867年)、夫・斉敬が左大臣を辞め、摂政となる。 * 大正5年(1916年)、死去。享年91。号は清閑院。 また、側室との間に生まれた二条正麿、宮橋利敬、四条隆英などを可愛がったという。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「二条恒子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|