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弘農郡(こうのうぐん)は漢代から唐代にかけて河南省に設置された郡。前漢の時代が最も管轄地域が広範である。現在の河南省西部に位置する三門峡市、南陽市西部及び陝西省商洛市を管轄し、長安から洛陽間の黄河南岸に位置し、古代より政治・軍事の要衝とされた。 前113年(元鼎4年)、漢武帝により函谷関付近に弘農郡が新設され、郡治が弘農県(現在の三門峡市霊宝市北東)に設置、下部に11県、118,911戸、475,954人を管轄した。後漢から三国時代にかけては、現在の商洛市に相当する地域が京兆尹に移管され、晋代には郡南部に上洛郡が設置され、行政範囲は現在の三門峡市の範囲に縮小している。南北朝時代に一時恒農郡と改称されたが、隋代に再び弘農郡に復し、郡治は弘農県南西の現在の霊宝市に遷され、黄河沿岸の地域が管轄から除外されている。582年(開皇2年)、弘農郡は廃止となり、管轄県は東義州に移管された。 603年(大業3年)の郡制施行に伴い再度弘農郡が設置されたが、管轄範囲が大きく異なる別行政区画である。詳細は虢州を参照のこと。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「弘農郡」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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