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恵萼 恵萼(えがく)は、平安時代前期の日本の僧。日本と唐の間を何度も往復したことで知られる。 漢字表記は一定せず、惠蕚〔『入唐求法巡礼行記』〕、慧蕚〔『日本文徳天皇実録』、金沢文庫本『白氏文集』〕、慧鍔〔『仏祖統紀』ほか、中国の書籍に多い〕、慧諤〔『重修普陀山志』〕などとも書かれる。 == 生涯 ==
恵萼については日本および中国のさまざまな書籍に断片的な記載があるのみで、不明な点も少なくない。 嵯峨天皇の皇后であった橘嘉智子は、禅の教えを日本にもたらしたいと考えた。恵萼はその命を奉じて、弟子とともに入唐し、唐の会昌元年(841年)に五台山に到って橘嘉智子からことづかった宝幡・鏡奩などの贈り物を渡し、日本に渡る僧を求めた〔『日本文徳天皇実録』巻一〕。その後も毎年五台山に巡礼していたが、会昌の廃仏に遭って還俗させられた〔円仁『入唐求法巡礼行記』巻四〕。 なお、恵萼の求めに応じて、唐から義空が来日している。のち、恵萼は蘇州の開元寺で「日本国首伝禅宗記」という碑を刻ませて日本に送り、羅城門の傍に建てたが、のちに門が倒壊したときにその下敷きになって壊れたという〔『元亨釈書』巻六〕。
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