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恵那櫻 徹(えなざくら とおる、1960年7月29日- )は、岐阜県恵那郡坂下町(※現役当時、現・同県中津川市)出身で、押尾川部屋に所属した大相撲力士である。最高位は西前頭筆頭(1990年11月場所)。本名は早川 徹(はやかわ とおる)。現役時代の体格は180cm、135kg。得意手は右四つ、突っ張り、押し。 一時「恵那桜」と新字の「桜」を使った時期もあったが、本記事では便宜上「恵那櫻」の表記で通す。 == 来歴・人物 == 岐阜県立恵那北高校(※2007年3月限りで廃校となり、岐阜県立中津高校へ統合)を中退後、押尾川部屋に入門。もともとは料理人志望で、中学卒業後は料理の専門学校に通うつもりでいた。入門の動機は、押尾川親方(元大関・大麒麟)から勧誘を受けた時に「力士になれば、ちゃんこ料理を作れるよ」と言われた事だという。なお、父親はタクシー運転手であった。 1977年3月場所にて、16歳で初土俵を踏んだ。当初の四股名は、本名でもある「早川」。同部屋の同期生には騏乃嵐、佐賀昇がおり、3人とも幕内まで出世した(ただし、3人が同時に幕内に在位した事はない)。 1986年3月、25歳で十両に昇進。 その後、暫くは十両にいたが、1987年11月場所で新入幕を果たした。入幕時の年齢は、27歳であった。 1988年3月場所では上位で4勝11敗と大きく負け越したが、朝潮・北天佑・小錦と3大関を破っている。1989年5月場所では10勝5敗と二桁勝利を挙げ、敢闘賞を受賞した。1990年11月場所では、最高位となる西前頭筆頭まで番付を上げた。 横綱には勝てなかったものの、大関・小錦には2戦2勝と一度も負けなかった。 真面目な性格で稽古熱心。回転のいい突っ張りに威力があったが、現役晩年に肘を痛めた事もあり、三役にはあと一歩届かなかった。しかし晩年は骨折を押してまで本場所に出場し、十両優勝を成し遂げた事もあった。 因みに四股名の由来は、故郷の岐阜県恵那郡と、憧れの力士であった富士櫻(最高位・関脇、前・中村親方)である。 序ノ口から一度も休まず相撲を取り続け、1994年7月場所を最後に33歳で引退。 引退後は年寄「錣山」を襲名(後、「竹縄」に名跡変更)し、押尾川部屋付きの親方として後輩達を指導していたが、1999年7月に日本相撲協会を退職した。 その後、相撲料理店「ちゃんこ 恵那櫻」を経営したが、現在は店を閉めている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「恵那櫻徹」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Enazakura Tooru 」があります。 スポンサード リンク
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