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『惑星大戦争』(わくせいだいせんそう)は、1977年12月17日に公開された東宝製作の特撮SF映画。同時上映は『霧の旗』。 == 解説 == 映画『海底軍艦』の宇宙版リメイク。1988年、太陽系外宇宙から飛来した異星人の侵略に対抗するため、宇宙防衛艦「轟天」が金星に本拠を構えた異星人の「大魔艦」に立ち向かう。 本作製作の背景には、1977年はアメリカでSF映画『未知との遭遇』『スター・ウォーズ』、アニメ映画『宇宙戦艦ヤマト』が公開され、日本は空前のSFブームを迎えていたことがあった。翌年1978年夏の『スター・ウォーズ』の日本公開を控えて、東宝は本作を急遽製作して正月映画として公開した〔東映も1978年4月に『宇宙からのメッセージ』を公開している。〕。正月映画として年末から公開の予定でありながら脚本が仕上がったのはその前の10月に入ってからで、クランクインが公開の2カ月前というタイトな製作期間であった〔もっとも、当時のプログラムピクチャーとしては前年の東映映画『河内のオッサンの唄』が、第1作11月27日公開のヒットを受けて製作した第2作の公開日が12月25日という例をはじめ、1本立て大作であった金田一耕助シリーズですら4カ月スパンと、続編も1年以上先でないとキャストを押さえることができない今日の製作事情とは大幅に事情を異にする。ただ、少なくとも特撮映画には過酷な日程であったことは事実である。〕。監督の福田純も、のちに「もっと時間があったら、単なる便乗ではなく、いろいろな工夫ができたと思う。」と述べている。 監督と特技監督には、1970年代の東宝でゴジラシリーズとSF作品を手がけてきた福田純と中野昭慶のコンビがあたった。福田と脚本の中西隆三はゴジラシリーズの新作『ゴジラの復活』の企画に、中野は日英合作映画『ネッシー』の制作準備にそれぞれあたっていたが、製作が急遽決定した本作へとスライドする形となった。福田は本作監督の後、東宝との専属契約を打ち切ったため、本作が最後の監督作品となった。 『惑星大戦争』のタイトルは、当初『スター・ウォーズ』の邦題として予定されていたが、ジョージ・ルーカス側の意向で全世界でタイトルを統一しようということで不採用となったため、本作のタイトルとして流用されたものである。 制作期間が非常に短いことから、それを補うために本編は3班、特撮は2班で撮影された〔。破壊される各国の都市などは『宇宙大戦争』や『世界大戦争』、『ノストラダムスの大予言』からの流用である。これは前述したようなあまりに短すぎる製作期間のため、苦肉の策であった。 当初は小松左京に原作の依頼が持ち込まれたが、小松のブーム便乗企画でない本格的なSF映画を作りたいという希望により別途企画が立てられ、『さよならジュピター』が製作されている。『海底軍艦』の宇宙版という企画自体はプロデューサーの田中友幸がかねてから温めていたもので、実現の機会をうかがっていた〔。 国内での評判はおおむね芳しくないが、海外、特にドイツでは大ヒットを記録した。有名人の賛辞としては、矢作俊彦の、なぜ日本アカデミー賞が『惑星大戦争』であってはいけないのか、という一文がある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「惑星大戦争」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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