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島津 忠秀(しまづ ただひで)は鎌倉時代末期から南北朝時代の武将・歌人。宇宿氏、宇留氏、信濃島津氏赤沼家の祖。 == 生涯 == 信濃国赤沼郷に地頭職を有し、諏訪大社の御射山祭の頭役も務めた。元弘3年(1333年)5月7日、足利高氏(足利尊氏)が六波羅探題を攻撃した際には、六波羅探題方の将として太政官庁・神泉苑周辺を守る(『太平記』巻第九)。六波羅探題滅亡後は室町幕府に帰順したと考えられ、康永4年(1345年)、天龍寺供養の際に導師夢窓疎石の天蓋の執綱を務めた「島津常陸前司」(『同』巻第二十四)も忠秀と考えられる(杉本雅人『越前島津氏-その事歴と系譜』第6章)。祖父忠景・父忠宗と同じく和歌の才に恵まれ、『続千載和歌集』、『続後拾遺和歌集』に入集。『武家百人一首』にも採歌されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「島津忠秀 (越前家)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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