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パウロ・フレイレ(Paulo Freire, 1921年9月21日 - 1997年5月2日)は、ブラジルの教育者。 ブラジル北東部のペルナンブーコ州に生まれる。大学では法律を学び、卒業後弁護士になるが最初の1件で引退。ブラジル北東部の町、レシフェ市で貧しい農村の非識字の農夫たちに、自分たちの境遇を考え、自分の暮らし、生活を変えていく(意識化)力としての言葉の読み書きを教えるという斬新な識字教育を始めて大成功を収める。これが大資本家たちの機嫌を損ね、1964年のクーデターで軍事政府により国外追放になる。 その後は、アメリカを経て、ヨーロッパに渡り、各地の大学で講義。ユネスコの識字教育にも携わる。ブラジルに民主政府の成立後、帰国しサンパウロ市教育長などを勤め、スラムの識字教育を推進した。彼の教育実践から、エンパワメントという言葉が生まれた。 20世紀を代表する教育思想家として、イヴァン・イリイチと双璧をなすと言われることもある。 == 理論的貢献 == フレイレの研究は、プラトンを起源とする古典的な流れだけでなく、マルクス主義や反植民地主義的な思想家の流れにおける教育哲学に対して大きな貢献を果たした。事実、彼の著作である「被抑圧者の教育学」は、フランツ・ファノンの「地に呪われたる者」の延長線上にあるもの、或いはそれに対する反応として読まれるべきなのかもしれない。なぜなら、ファノンは、その著作の中で、すべての原住民に対して古典的なものではない新しく近代的な教育、そして単なる植民者側の文化の伝達ではない反植民地主義的な教育、を提供するべきであると主張しているからである。 フレイレは、彼曰く「銀行型教育」への取り組みで知られており、その言葉で教師によって知識の蓄積をされていく空の口座としての生徒像を比喩した。もちろん、これはそれほど新しい考え方であるわけではない。ジャン・ジャック・ルソーが提唱した「能動的な学習者としてのこども」という概念は、基本的に「銀行型教育」の概念と同じものであるタブラ・ラサとは道を異にしている。またジョン・デューイやアルフレッド・ノース・ホワイトヘッドのような思想家は、ただの「事実」の伝達が教育の目標であるという考え方を批判していた。フレイレの研究は、批判教育学の基礎となっている。 他にも、フレイレは教師と生徒の二分法に対して強い嫌悪感を示した。ルソーによって認められたこの二分法は、デューイによって継承されている。しかしフレイレにとっては、それは絶対に改められるべき考え方であった。親子関係においてもそれなりの教師-生徒関係が存在するわけで、教師と生徒の二分法を完全に改めるという状態は想像しがたいが、フレイレは、教師のような生徒、生徒のような教師、という概念を提示し、教室参加における基本的な役割として、学ぶ教師と教える学習者というものを打ち出した。 フレイレの試みは、ただの民主主義的な教育を目指すというわけではなく、教育的な方法として民主政治を実行するという数少ない試みの1つであった。民主政治というものと向き合い続けてきたデューイでさえ、自らの方法論に民主政治的な実践を完全に組み入れることは無かった。但し、こういった教室の形態に対して、それは教師の権威を克服するのではなく隠蔽するにすぎないのだという批判もなされている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「パウロ・フレイレ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Paulo Freire 」があります。 スポンサード リンク
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