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愛子内親王 : ミニ英和和英辞書
愛子内親王[としのみや あいこないしんのう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [あい]
  【名詞】 love 
愛子 : [いとしご]
 (n) beloved dear child
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)
: [うち]
 【名詞】 1. inside 
内親王 : [ないしんのう]
 (n) imperial or royal princess
親王 : [しんのう]
 【名詞】 1. prince of royal blood 2. Imperial prince
: [おう]
  1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi) 

愛子内親王 : ウィキペディア日本語版
愛子内親王[としのみや あいこないしんのう]

敬宮 愛子内親王(としのみや あいこないしんのう、2001年平成13年)12月1日 - )は、日本皇族皇太子徳仁親王同妃雅子の第一女子。今上天皇の皇孫。御称号敬宮身位内親王皇室典範に定める敬称は殿下お印ゴヨウツツジ(五葉つつじ)。
住居は東京都港区元赤坂二丁目の赤坂御用地内にある東宮御所
== 略歴 ==

2001年(平成13年)12月1日14時43分、皇太子徳仁親王同妃雅子の間に、東京都千代田区宮内庁病院で出生。同日、祖父である天皇から守り刀(人間国宝である大隅俊平作)とが贈られる「賜剣の儀」が行われた。刀身は約25センチで全長約40センチ。同年12月7日、「浴湯の儀」「命名の儀」「賢所皇霊殿神殿に誕生命名奉告の儀」が行われ、天皇から愛子と命名され、敬宮の称号を受けた。名と称号の由来は
に拠る。皇太子同妃、そして学者〔秋山虔鎌田正米山寅太郎の三名〕が相談して内定し、天皇も皇太子・同妃の意向を尊重して命名した。浴湯の儀に伴って行われる「読書鳴弦」の儀式では、元学習院大学児玉幸多により、『日本書紀』から推古天皇に関する部分が読まれている。お印のゴヨウツツジ那須御用邸でも5月に咲く花で、、両親の「この純白の花のような純真な心を持った子供に育ってほしい」という願いを込めた。
幼時には、両親(皇太子同妃)から「愛ちゃん」と呼ばれた。
国民の祝賀も盛り上がり、お祝いの記帳は宮内庁関連で12万人、全国の自治体で65万人、合計77万人に達した。誕生翌日の2日夕、皇居前広場で「新宮さまのご誕生をお祝いする国民の集い」が開かれ、奉祝国会議員連盟会長の麻生太郎をはじめ政治家や竹下景子西田ひかるなどの芸能人、毛利衛長嶋茂雄などの著名人が祝辞を述べ、2万5千人が集まり万歳三唱、日の丸小旗を振るなどして祝意を表した。
2005年(平成17年)春から週2回、東京都渋谷区こどもの城に通い、音楽遊びなどを通じて集団生活に親しんだ。
2006年(平成18年)4月11日学習院幼稚園に入園。同年8月、皇太子徳仁親王・同妃雅子のオランダ旅行・滞在に同行して、初めて海外訪問した〔2006年8月19日 日テレNEWS24オランダ王室の馬車見学で愛子さまが笑顔に 〕。
同年11月11日に、袿(うちき)と袴をつけ「着袴の儀」を行った。このとき着けた「濃色(こきいろ、濃い赤色)」の袴は、誕生のときに天皇から贈られたものである。この頃には自転車の練習なども始めている。
2008年(平成20年)3月に学習院幼稚園を卒園し、同年4月に学習院初等科に入学。2009年(平成21年)の初等科2年生時には、漢字の書き取りや習字を行う姿が報道された。
2010年(平成22年)2月下旬から風邪のため欠席しがちだった〔2010年3月6日 東京新聞「愛子さま登校できず「乱暴な子」見て不安訴え」。記事では、“2月22日から26日の間、25日以外を欠席した”としている。なお、2月27-28日は土日〕が、同年3月5日になって野村一成(当時の東宮大夫)が、3月上旬に発生した初等科での児童同士のトラブルから体調不良となり、学校を欠席したと発表し、大きな波紋を呼んだ(詳細は''愛子内親王不登校騒動'')〔2010年3月5日 日テレ24 愛子さま、登校できず 一部の児童が乱暴で 〕〔2010年3月11日 日テレNEWS24 両陛下「十分に配慮を」愛子さま通学問題 〕〔2010年12月1日 日テレNEWS24 愛子さま 9歳に 学校で過ごす時間増える 〕。
2011年(平成23年)秋より、初等科への通学は平常な状態に戻った〔2011年12月1日 日テレNEWS24 愛子さま、10歳に 1人での通学増える 〕。
2012年(平成24年)には5年生となり、管弦楽部、バスケットボール部などで練習に励み、学習院女子大学で開かれる英会話セミナーにも通い出したと報道された〔〕。恒例の那須御用邸での夏休みには、出迎えた400人の観衆に笑顔で手を振り晴れやかな印象を与えた。
2014年(平成26年)3月に学習院初等科を卒業し、同年4月に学習院女子中等科に入学〔2014年4月6日 日テレNEWS24 愛子さま 学習院女子中等科に入学 〕。同年7月15日に昭和天皇香淳皇后武蔵野陵を初めて参拝し、また、7月30日に伊勢神宮を初めて参拝した。この時、皇太子一家を宇治山田駅前や沿道で約5千人が出迎え歓声を送った。同年8月3日、全国高等学校総合体育大会を一家で訪れ、女子サッカーと男子バレーボールの試合を観戦した〔2014年8月3日 日テレNEWS24 愛子さま、高校総体の男子バレーを観戦 〕。
同年12月1日、13歳の誕生日を迎え、御所の天皇皇后両陛下を初めて一人であいさつのため訪問した。春からはテニスを始めている。授業の科目数も増え、勉強にスポーツに忙しい日々を過ごす〔2014年12月1日 日テレNEWS24 愛子さま13歳に 初めて一人で皇居訪問 〕。
2015年(平成27年)戦後70年の節目の夏には、初めて戦争の企画展示(昭和館 東京都千代田区)に足を運び見学したほか、戦争体験者からも直接話を聞いた〔産経ニュース 愛子さま、14歳のお誕生日 〕〔2015年7月26日 日テレNEWS24 愛子さま、「戦後70年」の特別展へ 〕〔2015年8月23日 日テレNEWS24 皇太子ご夫妻と愛子さま 戦時中の生活展へ 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「愛子内親王」の詳細全文を読む




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