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慕容イ[ぼよう い]
慕容 暐(ぼよう い、拼音:Mùróng Wĕi)は、五胡十六国時代の前燕の第3代君主。苻堅の攻撃を受け、前燕が滅亡した際の皇帝である。 == 生涯 == 350年、初代皇帝慕容儁(烈祖)の三男として生まれる。兄に皇太子である慕容曄がいたが早世したため、父から皇太子に指名された。360年、父の死去により即位して第2代皇帝となる。 若年のため、父の死後は叔父の慕容恪の補佐を受けた。慕容恪は善政を行ない、365年3月には洛陽を東晋から奪取し幼帝のもとで前燕は全盛期を迎えている。しかし367年に慕容恪が死に、大叔父の慕容評が実権を握ると、前燕は収賄政治のために腐敗が進み、それに従って国力も衰退した。前秦での宗室の反乱の際に慕容評は苻堅から賄賂を受け好機を逃している。369年の桓温の北伐に洛陽を含む武牢以西の割譲を条件に前秦に救援を求めたが来援前に叔父の慕容垂の奮戦で撃退すると約束を反故にして苻堅を激怒させている。12月に慕容垂は慕容評から危険視され前秦に亡命した。そして370年、前秦は慕容垂を先頭に約束通りに洛陽を占領したが、慕容評は警戒を怠り前秦の苻堅から奇襲による侵攻を受けて11月に前燕は滅亡した。慕容暐は苻堅に降伏して長安に身柄を連行された。 384年、苻堅の暗殺を計画したとして殺害された。弟の慕容泓・慕容沖は逃亡、西燕を建てた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「慕容イ」の詳細全文を読む
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