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慕容評(ぼよう ひょう、生没年不詳)は、五胡十六国時代の政治家・武将。この時代を代表する奸臣と評されることが多い人物である。 == 生涯 == === 前燕の部将 === 父は慕容廆で、兄に慕容翰、慕容皝、慕容仁、慕容昭、弟に慕容幼がいる〔三崎『五胡十六国、中国史上の民族大移動』、P75〕。 336年に軍師将軍となり、慕容皝が慕容仁を撃った際には昌黎から進撃した。これで前軍師となり、339年には前燕に侵攻してきた石虎の将軍石成の後趙軍と遼西に戦って破った。343年には慕容儁に従って代を攻めた。349年に甥の慕容儁が前燕を継ぐと、輔弼将軍とされた。この年に石虎が死去して後趙が争乱になると、後趙の旧臣賈堅を攻めて捕え、章武太守とされた。 甥の慕容恪が冉閔を捕えた後、352年8月にその太子冉智らの拠る鄴を攻めて陥れ、冉魏を滅ぼして冉智を連行する功績を立てた〔三崎『五胡十六国、中国史上の民族大移動』、P71〕。 354年に鎮南将軍・都督秦・雍・益・梁・江・揚・荊・徐・兗・豫十州諸軍事として洛水に鎮した。その後司徒・驃騎将軍・上庸王となり、張平を討ってこれを逃走させた。359年に東晋の諸葛攸が北伐した際には傅顔とともに5万をもってこれと戦い、東阿において破った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「慕容評」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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