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慢(まん、Skt:Māna)は、仏教が教える煩悩のひとつである。他人と比較して思い上がることを言い、キリスト教で言う傲慢に当たる。 俗に我慢といい、我が身をのみ頼みて人を侮るような心を指す。倶舎論では八不定地法(尋・伺・眠・侮・貪・瞋・癡・悪見)の1つ、唯識論では六煩悩(貪・瞋・癡・慢・疑・悪見)の1つとする。 慢・過慢・慢過慢・我慢・増上慢・卑慢・邪慢の七慢の総称としても用いる。また八慢、九慢とすることもある。いずれにしても、他と比べて自らを過剰に評価して自我に捉われ固執し、福徳や悟りを具えていないのにそれらを修得していると思い込む煩悩をいう。 他者と比較せずに自惚れている状態は憍(きょう)という。サンスクリットのMānaを憍慢と翻訳する場合もあるが、憍と慢はやや異なった煩悩とされ、慢は他と比較して起す驕(おご)りで根本的な煩悩とされるが、憍は比較することとは無関係に起る。家柄や財産、地位や博識、能力や容姿などに対する驕りで付随して起す煩悩であるとされる。これを随煩悩ということもある。 == 外部リンク == * 浄厳『吽字義旋陀羅尼門釈』1894年 category:煩悩 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「慢」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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