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慧思 : ウィキペディア日本語版
慧思[えし]

慧思(えし, 515年(延昌4年) - 577年(太建9年))は、中国の六朝末の僧。天台智顗の師であり、天台宗の二祖(龍樹を開祖とし第二祖を慧文、慧思を第三祖とする場合もある)とされる。
姓は李氏、南豫州(河南省上蔡県)の出身。
== 生涯 ==
永安2年(529年)に出家、『妙法蓮華経』をはじめとする大乗経の読誦に励む。
永熙3年(534年)、発心して諸師を歴訪する遊方の旅に出て、慧文の許での修行に励み、大悟する。その悟りは知識と瞑想で段階的に悟っていく漸悟ではなく、一挙に悟る頓悟であった〔天台宗広済寺|法華仏教|天台とは 〕。その頓悟をもとに大乗仏教のあり方を山東・河南の各地で説いたが、当時の仏教界の激しい迫害に遭った〔。
開悟の後、西魏東魏に分裂し、それぞれ北周北斉に交代した北地の混乱を避けて、南方へと向かう。その間に、『摩訶般若波羅蜜経大品般若経』を中心とする大乗仏教を講義したが、悪僧によって迫害され、毒殺されかけたことが数次にわたったという。そこで後述のように諸大乗経典を金字で書写したが、それによって、末世になって無量の身となって出現し、この経典を講義し、一切の悪僧たちが信心を得て、真理に目覚めることを誓願したという。
慧思は、新たな立教の地として南岳衡山を目指すが、その道がふさがっていたので、光州(河南省商城県)の大蘇山で教勢を張った。天台智顗が慧思の許を訪れたのも、この時である。慧思は、『妙法蓮華経』と『大品般若経』を根本とする教化に励んだが、ここでも悪僧の妨害に遭い、世の混乱した世相と相俟って、末法の世に入ったことを実感し、また、衆生済度の使命を痛感することになった。
天保9年(558年)、光城県の斉光寺で、金字による『大品般若経』『妙法蓮華経』を書写し、それを石窟中に奉納した。また、『立誓願文』を作り、造経の経緯を記し、「」と弥勒如来の下生の時に備え、その際に慧思自身の身と金字による二経が出現し、一切の衆生を済度せんことを誓願する旨を述べた。
光大2年(568年)、慧思は智顗らの他の弟子たちと別れ、門弟子40余人と一緒に、南岳衡山入りを果たした。以後、寂するまでの10年近く、南岳を拠点として教勢を張った。宣帝は、慧思に対して大禅師号を賜った。
その伝記は、自ら記した『立誓願文』、道宣の『続高僧伝』巻17、智顗の弟子である章安灌頂が撰した『隋天台智者大師別伝』によって知ることができる。
なお『立誓願文』に「」とあり長寿命を求め、外丹(煉丹術)により内丹(内丹術)を修すると記述している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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