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慶嬪 李氏(경빈 이씨、生没年未詳)は李氏朝鮮の第13代王明宗の後宮。 == 生涯 == 入宮の経緯は不明。宣祖の後宮仁嬪金氏の従姉である〔《조선왕조실록》영조 85권, 31년(1755 을해 / 청 건륭(乾隆) 20년) 6월 14일(병진) 2번째기사〕。 李氏は元々淑儀だった。文禄・慶長の役中の1595年には宣祖が、黄海道延安に避難していた淑儀李氏などに対する食糧支給を該当の地域監事に命じたという記録がある。〔《조선왕조실록》선조 63권, 28년(1595 을미 / 명 만력(萬曆) 23년) 5월 26일(무술) 2번째기사〕 1755年旧暦6月14日に嬪に追贈された。当時李氏の従妹仁嬪金氏に諡号が下賜され、その廟号を園で高めたが、仁嬪金氏の従姉である李氏にも追贈すべきだという英祖の主張によって諡号が下賜され、李氏は慶嬪になった。この時英祖は自ら墓碣を書き〔、5年後の1760年からは敬嬪の墓に式年ごとに致祭することを命じた〔《조선왕조실록》영조 96권, 36년(1760 경진 / 청 건륭(乾隆) 25년) 12월 22일(임진) 1번째기사〕。現在墓は京畿道高陽の西三稜境内にある。。 仁嬪金氏の入宮に決定的な役割を果たした。当時淑儀であった李氏は金氏を連れて来て宮の中で養育し、明宗の王妃仁順王后の金氏を目をつめ、自分の雑用係とした。そうして後日仁順王后が宣祖に金氏を後宮として薦め、金氏は1573年に淑媛に冊封された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「慶嬪李氏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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