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慶州ナザレ園(けいしゅうナザレえん)は韓国慶尚北道慶州市にある施設。1945年の終戦後、朝鮮半島に取り残された日本人女性の一時避難場所を目的として設置されたが、日本に身請け人のいない日本人女性達が帰国できずに施設に残り、やがて養老院の体を成していった。 == 概要 == 1945年8月に終戦を迎えた後、満州・朝鮮から大量の日本人が日本に帰国して行った。その中で、朝鮮人と結婚した日本人女性の何人かは朝鮮に残ることを選択した。しかし、解放を迎えた朝鮮で日本人を妻にしていることが社会的重荷となって日本人妻を捨てたり、妾として迎えられた日本人妻がその処遇に耐えられなくなって家を出たり、または1950年に勃発する朝鮮戦争で夫と生き別れるなどによって、独り身になったまま生活する日本人女性が日本に帰国できないまま取り残された。慶州ナザレ園はそうした日本人妻を援助するために設立されたものである。 慶州ナザレ園は1972年10月1日、「帰国者寮ナザレ園」として社会福祉法人の認可を受け、10月5日に入居が始まった。設立に関わったのは日本の茨城県那珂市で「社会福祉法人ナザレ園 」を経営する菊池政一と韓国老人施設協会の会長金龍成である。仏国寺中学校を買収して施設を設置した。最初の入居者数は7名であった。 慶州ナザレ園の役割は、日本に帰国できていない日本人(ほとんどが朝鮮人と結婚した日本人女性)の保護と、彼女達の国籍の確認、帰国の意思がある場合は日本国内にいる身元引受人の調査である。朝鮮半島に取り残された日本人妻の多くは当時の強い反日思想のため日本人であることを隠して生活していた。そのため、日本政府もその実態を把握しておらず、活発な活動をしていた在韓日本婦人組織「芙蓉会」の調査で存在が確認されるケースが多かった。彼女達は日本では死亡扱いされていたり、国籍を失っていたり、または生きるために朝鮮戦争の混乱を利用して韓国籍を取得していたりしていたために、その身分を証明することは容易ではなかったが、金龍成をはじめとする支援者の協力で直接間接を含めて百数十名を日本に帰国させている。しかし、ナザレ園に滞在する日本人妻の何人かは、日本に身元引受人がおらず、また本人も日本に帰国する意思がないため、実質的に養老院の体を成している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「慶州ナザレ園」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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