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慶長三陸地震(けいちょうさんりくじしん)は、1611年12月2日(慶長16年10月28日)、現在の青森県、岩手県、宮城県を襲った地震。震源や地震の規模については諸説ある(詳細は後述)〔2012年末時点では、慶長奥州地震(1611年)のマグニチュードは8.5+αと推定されている。(座談会(後編)「災害の歴史から何を学び、どう向き合うか 災害列島に生きた人々」平川新他/ 保立道久・成田龍一監修、北島糸子他著『津波、噴火、、、 日本列島地震の2000年史』 朝日新聞出版 2013年 98ページ)〕。 == 概要 == 1611年12月2日(慶長16年10月28日)、巳刻過ぎ(10 -11時頃)大地震、昼八ツ時(午後2時頃)に大津波(現地時間)と記録されている。『武藤六上衛門所蔵古大書』には「大地震三度仕」とあり、3度大きく揺れたことになる。当時、日本を探検中のビスカイノらも、奥州沿岸の測量中に地震と津波に遭遇し、その記録を残している〔文部省震災予防評議会 『大日本地震史料 増訂』 1940年〕。 津波の波源域は1933年(昭和8年)の昭和三陸地震とほぼ重なると考えられてきたが、近年それとは違った諸説が出ている。 この地震において、現在の三陸海岸一帯は強震に見舞われたが、太平洋側沿岸における震度は4 - 5程度と推定され、地震による被害はほとんどなく、津波による被害が大きかったことから津波地震と推定されている〔阿部勝征 (2003): 「津波地震とは何か -総論-」『月刊地球』, 25, 337-342.〕〔島崎邦彦 (2003): 「今後30年間に起る確率20% -三陸沖から房総沖にかけての津波地震の長期評価-」『月刊地球』, 25, 343-346.〕。この地震による津波被害は「慶長三陸地震津波」あるいは「慶長三陸津波」とも呼ばれている。さらに、この地震の7年前には同じく津波地震と考えられ、東海・東南海・南海のトラフ寄り、或は伊豆・小笠原海溝付近〔石橋克彦, 原田智也(2013): 1605(慶長九)年伊豆-小笠原海溝巨大地震と1614(慶長十九)年南海トラフ地震という作業仮説,日本地震学会2013年秋季大会講演予稿集,D21‒03〕、その他が震源とされる慶長地震があった。 なお、地震が発生した当時は「三陸」という言葉は存在しなかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「慶長三陸地震」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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