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慶長丁銀(けいちょうちょうぎん)とは江戸時代の初期、すなわち慶長6年7月(1601年)に鋳造開始された丁銀の一種である。慶長丁銀および慶長豆板銀を総称して慶長銀(けいちょうぎん)と呼ぶ。慶長銀を始めとして江戸時代前半の銀貨は何れも秤量貨幣であった。 また慶長大判、慶長小判、慶長一分判と伴に慶長金銀(けいちょうきんぎん)と呼ぶ。 == 概要 == 表面には「(大黒像)、常是」および「常是、寳」の極印が数箇所から十数箇所打たれている。また大黒像がやや斜め向きであることから、正面を向いている正徳丁銀と区別される。また「是」の文字の最終2画の足が長い。また12面の大黒像を打った十二面大黒丁銀は幕府への上納用あるいは祝儀用とされる〔青山礼志 『新訂 貨幣手帳・日本コインの歴史と収集ガイド』 ボナンザ、1982年〕。 初期のものは切遣いを想定しているため一般的に薄手で、極印の打数が多く形状が多様で素朴なつくりであり、文字が小さい〔瀧澤武雄,西脇康 『日本史小百科「貨幣」』 東京堂出版、1999年〕。後期のものは上下に大黒印2箇所と両脇に6箇所、計8箇所の極印が打たれ、元禄丁銀の形式に近い。ただし中間的なものも少なからず存在し、この区別による鋳造時期の詳細は不明である〔『日本の貨幣-収集の手引き-』 日本貨幣商協同組合、1998年〕。慶長期は銀座へ年間16,000貫程度の寄銀があったのに対し、日本国内の産銀が減少した後の元禄7年(1694年)には銀座に納入された公儀灰吹銀が1,973貫、買灰吹銀3,297の計5,090貫程度となっており〔田谷博吉 『近世銀座の研究』 吉川弘文館、1963年〕、形式が規格化された後期とされるもののほうが現存数が少く、産銀量の減少と整合する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「慶長丁銀」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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