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懲毖録 ( リダイレクト:懲ヒ録 ) : ウィキペディア日本語版 | 懲ヒ録[ちょうひろく]
『懲毖録』(ちょうひろく)は、17世紀前後に書かれた李氏朝鮮の史書で、著者は同王朝の宰相柳成龍。文禄・慶長の役を記録したもので、重要な資料として、韓国の国宝第132号に指定されている。 == 概要 == 1592年から1598年にわたって、日本軍が朝鮮に侵攻する前兆から、朝鮮朝廷の行動と明国の動態、日本軍と朝鮮及び明国の交渉と裏取引等に関しても、文禄・慶長の役の一部始終を詳細に記したもので、著者の柳成龍は戦乱勃発当時に朝鮮朝廷の高官であった。 日本の侵攻に備えて李舜臣を全羅左道水軍節度使に推薦したのも柳であったが、豊臣秀吉の朝鮮侵攻の意志を見抜けなかった金誠一を支持していたこともあり、その責任を問われて一時官職を罷免された。柳は白衣従軍として王の身辺を守り、それが認められて再び平安道偵察使、三道都体察使と重役を任された。このように文禄・慶長の役の際、朝鮮朝廷の側近にあった柳は、隠居して故郷に引き籠った際、『懲毖録』を著した。 『懲毖録』のタイトルは『詩経』周頌・小毖篇首章にある「予其懲而毖後患」〔「われ、それ懲(こり)て後の患(わずら)いを毖(つつしま)ん」傷むところがあって戒めを知り、後の患いを用心しよう、の意。「懲」punish,reprimand,warn「毖」guard against, take care,caution)〕から採られている。
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