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矢沢 永吉(やざわ えいきち、1949年9月14日 - )は、広島県広島市南区仁保出身〔嬉一夫(中国新聞)『あの時この歌―戦後日本歌謡史―』渓水社、1983年、p212〕のロックミュージシャン〔GARURU RECORDS | 矢沢永吉 | PROFILE 〕。身長180cm、血液型はB型。〔矢沢永吉携帯公式サイト「E.YAZAWA」内コンテンツ「世話がやけるぜ」より〕。 == 人物概要 == * 愛称は「永ちゃん」「ボス」。ロゴマークの"E.YAZAWA"は商標登録されており(第1601017号ほか)®が表示されている。 * ファンが熱狂的であることで知られている。2006年には、NHKスペシャルにて矢沢本人ではなくファンにスポットを当てた番組が放映された〔永ちゃん 俺たちはもう一度走れるだろうか NHKスペシャル 2006年2月26日放送〕。 * ほぼ全曲にわたる作曲、及び数曲における作詞を手掛ける。クールス「紫のハイウェイ」など他のアーティストには「五大洋光」名義で楽曲を提供したこともある。 * 1975年のソロデビュー以降、特にテレビ媒体に露出することは少なかった。1978年、資生堂のCMソングに採用された「時間よ止まれ」が大ヒットした際も『ザ・ベストテン』を始め、当時の音楽番組にはほとんど出演せず〔矢沢永吉が成し遂げた偉業 - 日刊サイゾー 〕。ラジオは1970年代に何度か出ている〔#吉見、pp.205-209〕。このため1980年2月10日に当時テレビに出ないと言われていた矢沢が、NHK教育の『若い広場』に出演した際は大きな反響を呼んだ〔特集 なつかしの番組 若い広場-NHKアーカイブス 〕。同じ1980年に自身がCMソングを手掛けた「THIS IS A SONG FOR COCA-COLA」のCMには出演し、曲もヒットしたが、この時も音楽番組には出演しなかった。ただ、CMソングは1976年9月のSONYラジカセ「リズムカプセル9000」から多数手掛けている〔#写真集、p28〕〔#R&Rぴあ、pp.64-65〕。近年のようにテレビ媒体に露出が増えたのは1992年に新発売されたサントリー缶コーヒー「BOSS」のCMに起用されてからである〔#TV SONGS、p38〕〔#クロニクル1、p73〕。1980年代もテレビに出演することの少なかった矢沢が本CMで、ロックのカリスマのイメージを覆す冴えないサラリーマンを演じて世間を驚かせた〔。1994年には『アリよさらば』でテレビドラマの主役を演じその後、数本ドラマと映画に出演している〔。CMの出演出演料もトップクラスだが、CM出演が相次ぐのは短い時間ながら視聴者に強烈なインパクトを残せるカリスマ性ゆえである〔。 * 矢沢はまた類稀な語り手でもあるため〔#クロニクル2、pp.81-83〕活字メディアにはキャロル時代からしばしば登場し今日までそれは変わらない〔。アルバム『Last Song』が発売された2012年夏には、多くの雑誌で表紙を飾りメディアを席巻した〔「引退をにおわせる作戦も!」矢沢ビジネス健在なぜ今“永ちゃん節”がメディア席巻なのか 〕。 * 多くのアルバムをセルフ・プロデュースし、コンサートの興行や演出なども自身の会社が行い、自らがそれら全てを取り仕切る〔メジャーレーベルを捨てた矢沢永吉の新作が音楽ビジネスを変える!? 〕〔はじめての「Last Song」矢沢永吉インタヴュー【1】 | GQ JAPAN 〕〔。 * 1960年代から活動してきたロック・アーティストで、今日まで第一線で活躍してきたアーティストは矢沢以外いない〔〔#鈴木、pp.616-618〕。矢沢の偉大さは「成りあがった」ことより、その後もずっとビッグであり続けたことにある〔〔矢沢永吉誕生(1949〜) - おんがく日めくり | ヤマハ株式会社 〕。 *自らの奇想天外な人生を基に、数多くの名言を残している〔矢沢永吉さんの名言について考える 〕。 * 声以上の楽器はないと話しており〔#写真集、p.352〕〔#R&Rぴあ、pp.66-67〕レコーディングの際には、ほとんど1テイクで完成することが多い〔〔いつの時代も汗をかきただ走り続けてきた矢沢永吉|p4- WEB GOETHE ヒューマン 〕。今に至るまでの成功の一因に、体力、表現力とともに卓越したボーカリストとしての才能がある〔。 * 2012年現在、楽曲数約400曲・ライブ総数約1800本・総動員数約600万人を超える〔。 * オリコンアルバムランキングベスト10入り最多記録(51作)を保持。 * オリコンDVDミュージック部門で最年長首位記録更新、60歳代での首位獲得は男女・洋楽邦楽含め史上初となる〔。 * 1970年代から1990年代までの3つの西暦10年代連続で、スタジオ・アルバム首位を獲得した男性ソロアーティスト。 * 1977年8月26日、日本人ソロ・ロックアーティストとして初めて日本武道館でコンサートを行う〔〔ACTIVITY|矢沢永吉公式サイト|YAZAWA'S DOOR 〕〔#R&Rぴあ、p24〕。以降2014年まで日本武道館最多公演記録132回と更新中〔いつの時代も汗をかきただ走り続けてきた矢沢永吉|p3- WEB GOETHE ヒューマン 〕。日本武道館を"ロックの殿堂"に押し上げる〔「日本のロック愛 矢沢永吉107回の武道館」『BRUTUS』2010年3月1号、p83〕。 * 1978年、1980年、1982年で長者番付歌手部門第1位。 * オリコンアルバムランキング最年長首位(63歳8ヶ月)を記録。 * ソロ歌手史上初のインディーズ作品によるオリコンアルバムランキング首位を獲得。 * 1978年、資生堂のCMソングとして大ヒットした「時間よ止まれ」が、36年の時を経て、2014年再び同社のCM曲として復活した〔〔矢沢永吉、「時間よ止まれ」が36年ぶりに資生堂CMソングに復活 〕。 *ホットドッグプレスの1982年5月号の独占インタビューにおいて「日本のミュージシャンはストーンズを観るべき。だが横浜銀蠅のようなガキは観てもダメ。坂本龍一とかは観たほうがいい」と辛口なコメントをしている。同時に紅白歌合戦を「年越しそば歌合戦」と皮肉を込めて述べた。 * 2011年、ジョニー大倉への嫉妬心から〔佐伯俊道「修正娯楽派の戯言 第十九回 I'm just Lonely Boy」『シナリオ』2013年12月号、p.192〕、キャロル (バンド)時代の映像が収録されている1973年の映画「番格ロック」のDVD発売を阻止したため〔『映画秘宝』2011年12月号。内藤誠インタビュー〕〔内藤誠『偏屈系映画図鑑』キネマ旬報社、2011年、pp.133、186〕、多方面から批判を受けている〔「REVIEW 明日泣く」『キネマ旬報』2011年12月上旬号、p.102〕。 * 2015年12月2日にリリースしたライブDVD『ROCK IN DOME』が、同年12月14日付のオリコン週間DVDランキングにおいて総合1位(初登場)を獲得した(Blu-rayの売上枚数と合算した「総合ミュージック映像ランキング」でも1位を獲得)。また、前作『TREASURE BOX』で自ら樹立した“DVD首位獲得最年長記録”(2014年5月当時64歳8ヶ月)を66歳3ヶ月に自ら塗り替えた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「矢沢永吉」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Eikichi Yazawa 」があります。 スポンサード リンク
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