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成出ダム(なるでダム)は、岐阜県大野郡白川村と富山県南砺市との境、一級河川・庄川水系庄川に建設されたダム。高さ53.2メートルの重力式コンクリートダムで、関西電力の発電用ダムである。同社の水力発電所・成出発電所・新成出発電所に送水し、合計最大9万3,200キロワットの電力を発生する。 == 歴史 == === 建設 === 1939年(昭和14年)、電気事業の国家管理化を目指す日本政府によって設立された日本発送電は、小牧ダムや祖山ダムといった大ダムを伴う庄川の水力発電所群を継承し〔『北陸地方電気事業百年史』796 - 797ページ。〕、上流に向かって開発の手を伸ばしていった。同年、祖山ダムの上流で小原ダムおよび小原発電所の建設に着手し〔『北陸地方電気事業百年史』344ページ。〕、1942年(昭和17年)に運転を開始〔「水力発電所データベース 小原発電所 」(2008年3月31日入力、2011年1月30日閲覧)より。〕。さらにその上流において成出ダムおよび成出発電所の建設を計画。1943年(昭和18年)5月1日に成出水力建設所を開設し〔『日本発送電社史 綜合編』付録30ページ。〕、建設工事に着手した。 日本発送電は増大する電力需要に対し、発電所の新設によって応えようとした。しかし、太平洋戦争の激化に伴い物資不足は深刻なものとなり、既存の発電所にある遊休機器を、新設する発電所向けに転用する措置がとられた〔『日本発送電社史 綜合編』187ページ。〕。成出発電所には水車発電機が2台設置される計画であり、まず1台を静岡県の久野脇発電所から移設・転用することとなった〔『日立評論 1951年1月号』7ページ。〕。工事は戦時中にいったん中断されたのち、戦後の1950年(昭和25年)に再開されたものの〔『北陸地方電気事業百年史』591ページ〕、完成を待たずして1951年(昭和26年)に日本発送電が分割・民営化され、庄川の水力発電所群は関西電力に引き継がれた。同社は成出発電所の建設を引き継ぎ、まず同年11月に2号機が運転開始。残る1号機も12月に運転を開始した〔。 日本発送電の分割・民営化の際、北陸地方にある多くの水力発電所が関西電力の手に渡ったことに対し、北陸電力を始めとする北陸地方の企業が反発。協議の結果、成出発電所は関西電力の所有するところとなったが、成出発電所で発生した電力量の半分に相当する、年間8,000万キロワット時を北陸電力に送電することになった〔『北陸地方電気事業百年史』524 - 525ページ。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「成出ダム」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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