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成功級フリゲート(、Cheng Kung class frigate)は、台湾海軍のフリゲート。アメリカ海軍のO・H・ペリー級ミサイルフリゲートのライセンス生産によって8隻が建造された。 == 開発 == 台湾海軍は、長らくバックレイ級護衛駆逐艦を改装した天山級護衛駆逐艦や、フレッチャー級駆逐艦・アレン・M・サムナー級駆逐艦・ギアリング級駆逐艦を改装した富陽級駆逐艦を主力艦として用いていた。しかし第二次世界大戦時の設計であるこれらの艦は旧式化や老朽化が著しく、「老漢吃春薬(老人が強壮剤を飲んでいる)」と揶揄される〔陸易「中国海軍のライバル 台湾海軍の実力」 『世界の艦船』513集(1996年8月号) 海人社〕ほど、戦力の近代化は喫緊の課題となっていた。 1984年、台湾海軍の近代化計画の一つとして、3,000t級のミサイル駆逐艦「光華I号」を8隻建造する計画が立案され、ベースとする艦が選定されることになった。当初は、並行して導入することになっていた1,500t級フリゲート「光華II号」との共通性などから、西ドイツ(当時)のMEKO型フリゲートが選定された。しかし、台湾と西ドイツの国交がなかったうえに、中華人民共和国からの圧力が予想されたことから、正規ルートによる購入は困難であった。第三国を経た購入も検討されたが、リベートなどによるコストの高騰が予想されたため、MEKO型フリゲートの購入を断念。 アメリカ合衆国の支援の下、台湾科学院がO・H・ペリー級を元にした、新型戦闘システムやVLSを有する「ミニ・イージス艦」を開発することが決まった。当然、一から新型艦の開発をするのに時間がかかるため、1986年には8隻の内4隻を新型艦にする計画に変更されたが、1989年に就任した葉昌桐上将は新型艦の隻数を2隻まで削減。さらに、O・H・ペリー級フリゲートを2隻共同建造、5隻をライセンス生産して、後期型の5隻をミニ・イージス艦として建造し合計12隻整備するなど計画は二転三転した。結局、建造費の関係から8隻のみ建造することで決着し〔「海外艦艇ニュース 台湾の駆逐艦,フリゲイト更新計画(続報)」 『世界の艦船』406集(1989年4月号) 海人社〕、1番艦「成功」は1990年に起工された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「成功級フリゲート」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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