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成山 明(なるやま あきら、1931年11月27日 - 1978年5月8日)は、兵庫県津名郡由良町(現在の同県洲本市)出身で、小野川部屋に所属した大相撲力士である。最高位は西小結(1956年3月場所)。身長176cm、体重110kg。得意手は左四つ、寄り。 == 来歴・人物 == 成山は本名であるが、郷里・由良町にある成ヶ島(淡路橋立)の北端にある山の名前でもあるため、そのまま四股名とした。少年航空兵を志願し合格したが時は敗戦寸前だった1945年(昭和20年)のことで、願いは叶わず終戦となった。家業の漁業を手伝っていたところを、父親がいとこ同士だった元前頭2・錦華山の小野川親方に誘われて小野川部屋へ入門することとなり、1948年(昭和23年)10月場所にて初土俵を踏んだ。 初土俵の場所では番付外と新序で続けて好成績を収めたため、翌場所では序ノ口を飛び越し、序二段に付け出された。 なお、当初の四股名は、所属の小野川部屋に因んだ「小野若」であった。 1953年(昭和28年)1月場所、21歳で十両に昇進。この場所では初日から9連勝したが、これが当時の新十両の初日からの連勝記録で、55年後の2008年(平成20年)11月場所、翔天狼がこの記録に並んだ。その後、1953年9月場所で新入幕を果たした。この場所では14勝1敗で優勝した東富士に次ぐ12勝3敗という好成績を残して技能賞を受賞、新入幕での技能賞受賞は初めてのことだった。 1956年(昭和31年)3月場所では小結に昇進、史上初めて本名での三役力士となった。同場所では3勝12敗と大敗し、三役は結局、この1場所しか務まらなかった。 左差し右おっつけの速攻で、場所の序盤にしばしば上位を倒し「成山旋風」を巻き起こし、颯爽とした風貌で人気も高かった。久保田万太郎は新入幕時の快進撃を「秋場所や けいこの甲斐をかくも見せ」と詠んだ。しかしながら、日頃のえびすこぶりと大酒が祟ってか、持病の糖尿病のため終盤まで持たなかった。 1962年(昭和37年)5月場所限りで廃業し、その後は東京都千代田区九段地区で料亭を経営した。 1978年(昭和53年)5月8日、心筋梗塞のため東京都港区内の病院で逝去。46歳没。 息子(明秀(あきひで)、1963年(昭和38年)1月22日生まれ)は同年3月に角界入り(出羽海部屋へ入門)し、本名でもある「成山」の四股名で西幕下2枚目まで進んだが、親子関取昇進は果たせなかった(1987年(昭和62年)5月場所後に廃業し、現在は、東京都内で相撲料理店「ちゃんこ 成山」を経営している)。 なお、成山が亡くなったのは息子・明秀が、序ノ口の土俵に初めて上がった日でもあったという。彼の同期生には、水戸泉、琴稲妻らがいる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「成山明」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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