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成粛皇后(せいしゅくこうごう、? - 1207年6月20日)は、南宋孝宗の皇后。姓は謝氏。 == 生涯 == 丹陽の人。実父の謝寧を早くに亡くし、翟氏の養女となった。その後、後宮に入り、高宗の皇后呉氏の侍女を務めた。 紹興31年(1161年)、建王趙伯琮(のちの孝宗)に側室〔これより少し前に、趙伯琮は郡王から親王に上った。最初の妻の郭氏は、郡王時代に早世した。〕として与えられ、咸安郡夫人に封ぜられた。孝宗が即位すると、婉容(嬪)に封ぜられた。隆興2年(1164年)、貴妃に上った。淳熙3年(1176年)、太上皇(高宗)の薦めで、皇后に冊立された。 淳熙16年(1189年)、孝宗は息子の光宗に譲位して太上皇となり、謝氏は寿成皇后と号した。慶元2年(1196年)、寿成恵慈皇太后と加号した。嘉泰2年(1202年)、寿成慈佑太皇太后となった。開禧3年5月16日(1207年6月20日)、崩御した。「成粛」と諡され、孝宗の永阜陵に合葬された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「成粛皇后」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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