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「或る雨の午後」(あるあめのごご)は、1939年(昭和14年)1月にディック・ミネがリリースしたシングルであり、楽曲名である。 == 概要 == 1939年(昭和14年)1月に古賀政男がテイチクを退社、ディック・ミネは作曲者にジャズ・サックス奏者の大久保徳二郎を指名、島田磬也の作詞(「和気徹作」名義)、杉原泰蔵の編曲、ディック・ミネ・エンド・ヒズ・セレナーダスの演奏により、『或る雨の午後』は生まれた。この曲で大久保は作曲家としてデビューとなった。 盤面には、『或る雨の午後』については「ジャズソング / タンゴ」と明記され、『上海ブルース』については「ジャズソング」とのみ記されている。『或る雨の午後』のリズムは確かにタンゴであり、ダンスミュージックに分類されるべき楽曲である。 日活京都撮影所が同年の暮れに製作した、マキノ正博監督、片岡千恵蔵主演のミュージカル映画『鴛鴦歌合戦』にディック・ミネが出演し、歌を多く歌い踊るが、そのうち青葉の笛の由来を歌った曲に『或る雨の午後』のメロディがフィーチャーされている。同作のオペレッタ構成・作詞は島田、作曲とオーケストラ指揮は大久保が担当している。同作は、同年12月14日に公開されたが、40数年の時を経て、1985年(昭和60年)渋谷での「マキノ雅裕レトロスペクティヴ」で喝采を受けて以来、カルトムービーとなっている。 『或る雨の午後』は、1989年(平成元年)、戸川純、上野耕路らが在籍するゲルニカによってカヴァーされ、彼らの3枚目のアルバム『電離層からの眼差し』(CDアルバム、テイチク)に収録された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「或る雨の午後」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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