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『戰ふ兵隊』(たたかうへいたい)は、1939年(昭和14年)に製作された日本のドキュメンタリー映画である。亀井文夫 監督、東宝映画文化映画部 製作。内容が厭戦的と問題となり、検閲の上で上映は不許可となり、公開禁止となった。その後ネガは処分され、幻の映画とされていた。白黒映画、80分だが現存するのは66分のみ。 == 解説 == === 撮影 === 1937年(昭和12年)に始まる日中戦争下に戦意高揚を目的として、陸軍省報道部の後援の元、東宝映画文化映画部(のちの日本映画新社の前身の一部門)が企画製作した。既に『上海 -支那事変後方記録-』などの戦記ドキュメンタリー映画を監督した実績がある亀井が監督に抜擢され、撮影は、監督の亀井をはじめ、カメラマンの三木茂、瀬川順一、録音技師の藤井慎一らが約5ヶ月武漢作戦に従軍して撮影された。亀井は、当時のニュース映画や戦争映画に、兵隊が城壁の上で日の丸を振って万歳三唱する映画が氾濫していたため、これらとは違う映画を作ろうと考えていた〔「亀井文夫「"疲れた兵隊"の顚末記」『一億人の昭和史10 不許可写真史』 毎日新聞社 1982年 P.120 ~ 121〕。陸軍からの支援が少なかったことも、戦闘シーン中心の構成を変更するきっかけになったという〔沢辺有司『ワケありな映画』 彩図社 2014年 P.66 ~ 70 ISBN 978-4-8013-0024-8〕。 亀井は、戦争の中絶を内心願っていたのは確かだが、撮影で中国人と触れ合う中で「戦争で苦しむ大地、そこに生きる人間(兵隊も農民も)、馬も、一本の草の悲しみまでものがさずに記録したいと努力した」に過ぎず、本作が公開禁止になるとは思ってもいなかった。東宝内では、1日に数回の試写会が1ヶ月もかけて行われ、本作を見た多くの人物が共感した。桜井忠温(陸軍少将、小説『肉弾』の作者)や小松清も、亀井に賞賛と激励を送った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「戦ふ兵隊」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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