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戦略防衛構想(せんりゃくぼうえいこうそう、)とは、アメリカ合衆国がかつて構想した軍事計画。通称スターウォーズ計画。 衛星軌道上にミサイル衛星やレーザー衛星、早期警戒衛星などを配備、それらと地上の迎撃システムが連携して敵国の大陸間弾道弾を各飛翔段階で迎撃、撃墜し、アメリカ合衆国本土への被害を最小限に留めることを目的にした。通称は、これらの兵器を用いる事がスペースオペラ張りであるとして、映画『スター・ウォーズ』に擬えられたもの。 == 経緯 == 1980年代、核の均衡は相互確証破壊(MAD)に基づいていたが、アメリカ合衆国大統領ロナルド・レーガンはこれをよしとしなかった。レーガンは、1983年3月23日夜の演説で、ソ連の脅威を強調すると共に、「アメリカや同盟国に届く前にミサイルを迎撃」し、「核兵器を時代遅れにする」手段の開発を呼びかけ、翌3月24日に開発を命じた。 「SDI演説」の要旨は以下の通りである。 演説の内容は、アメリカ国防総省高官にさえ、前日まで知らされていなかったと言われる。内外を驚かせた「SDI演説」だったが、決して思いつきで行われたものではなかった。演説以前から陸海空三軍ではそれぞれ独自にレーザー兵器の研究を進めており、一部の議員からもレーザー兵器などによる「領土到達前の迎撃システム」が提案され、公式レポートや勧告書も作成されていた。1981年にはスペースシャトル・コロンビア号の打ち上げにも成功。80年代末には年間25~40回前後の打ち上げを実現できると見込まれており、宇宙兵器の配備にも目処が立っていた。 演説の中にも織り込まれていたように、基礎的な技術については既に確立しつつあった。「SDI演説」はそれまで個別に進められていた研究を統合・推進し、一気に実用化・実戦配備を目指すという、言わば「決意表明」であり、当時としては十分に勝算あっての宣言だった。 核兵器による破壊の恐怖ではなく、核兵器を無力とすることで恒久的な平和を実現するという構想は、ある意味高い理想に満ちたものだったが、当初から技術的な問題、資金的な問題、宇宙空間の軍事利用に関する法的(宇宙条約)・倫理的な問題、現状の核抑止を不安定にする危険などが指摘された。それでも国防総省や各軍をはじめ、様々な方面から提案がなされ、研究・開発が進められた結果、いくつかは具体的な成果を上げるに至った。 しかしレーガン自身が予言したように、研究はやがて困難に直面する。「見込みのある」、あるいは「敵(ソ連)が保有しうる兵器・技術」の全てに投資する姿勢は、開発費の膨張を招き、個別の研究も技術的困難などから停滞し始める。実戦配備の目処が立たない中、ソ連のゴルバチョフ政権誕生をきっかけとした緊張緩和と軍縮路線が加速。SDI構想は次第に存在意義を失い、冷戦終結と相前後して、自然消滅に近い形で中止された。以後のミサイル防衛は、湾岸戦争を受けてソ連の協力〔Gorbachev's Reversal on Strategic Defense: An Opportunity for Bush 〕〔Limited Ballistic Missile Strikes . North Atlantic Treaty Organization.〕も得ながら迎撃の対象と規模を絞り込んだジョージ・H・W・ブッシュ政権下のGPALS(Global Protection Against Limited Strikes / 限定的攻撃に対する地球規模防衛構想)、さらにビル・クリントン政権下ではTMDとNMDへと移行していくこととなる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「戦略防衛構想」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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