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長門(ながと)は、旧長門国を名前の由来に持つ大日本帝国海軍の戦艦〔#達大正5年5月p.12『達第七十八號 軍備補充費ヲ以テ本年度建造ニ着手スヘキ戰艦及二等巡洋艦ニ左ノ通命名セラル|大正五年五月十三日 海軍大臣加藤友三郎|呉海軍工廠ニ於テ建造 戰艦 長門ナガト|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 二等巡洋艦 天龍テンリウ|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 二等巡洋艦 龍田タツタ』〕。長門型戦艦の1番艦である〔#艦艇類別等級(昭和12年12月1日現在)p.1『艦艇類別等級表|軍艦|戰艦|長門型|長門、陸奥』〕。第二次世界大戦前は日本海軍の象徴として親しまれた〔#連合艦隊戦艦12隻を探偵する202頁、『海軍少年読本』pp.24-25〕。敗戦後はアメリカ軍に接収され、原爆実験の標的艦となり沈没した。 == 概要 == 完成当時の1920年(大正9年)では世界最初であり、かつ最大口径の16.1インチ(当時日本はメートル法を採用していたため実口径は41cmちょうど)主砲と、当時の戦艦の中では非常に高速である26.5ノット(公試26.443ノット)の機動力を持つ高速戦艦で〔「試験(3)」p.3「大正9年10月7日、長門全力公試」〕、世界の軍事史や軍艦史にも大きな影響を与えている〔『軍港と名勝史蹟』p.43〕。 2番艦の陸奥と共に各国海軍から注目され、大艦巨砲主義が最盛期をむかえていた列強海軍の熾烈な建艦競争にワシントン海軍軍縮条約による一定の歯止めを与えるきっかけとなったのも本艦であった〔『軍艦帖 : 海と船の写真帖』(1922年)、p.13〕。 完成後に連合艦隊旗艦となり、その任を陸奥と交代で務めた〔#連合艦隊戦艦12隻を探偵する210頁〕。第二次世界大戦後に有名になった大和型戦艦の大和、武蔵が戦中は存在そのものが極秘だったこともあり、戦前と戦中には長門、陸奥こそが日本海軍を代表する戦艦として国民から親しまれている。『陸奥と長門は日本の誇り』といういろはカルタが制作された程である。 太平洋戦争開戦時の連合艦隊旗艦で、連合艦隊司令長官 山本五十六大将が座乗していた。1942年2月、連合艦隊旗艦は大和に移った。以後、大和、武蔵に次ぐ主力艦として温存され、太平洋戦争終盤まで最前線に出ることはなかった。終戦時、横須賀にて中破状態で残存。稼動可能な状態で生き残った唯一の日本戦艦である。アメリカ軍に接収された後、1946年7月にビキニ環礁で実施された原爆実験「クロスロード作戦」に標的艦として投入、二度の核爆発により浸水が進み沈没したのだった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「長門 (戦艦)」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Japanese battleship Nagato 」があります。 スポンサード リンク
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