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『戴冠式頌歌』(たいかんしきしょうか ''Coronation Ode'')作品44は、エドワード・エルガー作曲のソプラノ、メゾソプラノ、テノール、バスと合唱と管弦楽による合唱曲。歌詞はによる。本作は1902年の英国王エドワード7世と妃アレクサンドラの戴冠式のために書かれた。「エドワード7世陛下の特別な勅許」によって献呈された。しかし王の病気のため、戴冠式の挙行は延期された〔もともと戴冠式は1902年7月26日に予定されたが、その2日前に王に虫垂炎が発見され、緊急手術を受けることになった。そのため戴冠式は8月9日まで延期となった。〕 そのため、初演は1902年10月2日のシェフィールド・フェスティバルまで延期された。初演はエルガー自身の指揮で、 、 との歌唱とシェフィールド合唱団によってなされた。ロンドンでの初演は同年の10月26日にコヴェント・ガーデンで行われた。 本作は6つのパートがある。 :I - 導入部:「王が戴冠したまわんことを(''"Crown the King"'')」 :II - (a) 「王妃(''"The Queen"'')」(b) 「古代の諸王の娘(''"Daughter of ancient Kings"'')」 :III -「英国よ、自問せよ (''"Britain, ask of thyself"'')」 :IV - (a) 「聞け、神聖なる天空で(''"Hark upon the hallowed air"'')」(b)「ただ心が純粋になれ(''"Only let the heart be pure"'')」 :V - 「平和、麗しき平和よ''"Peace, gentle peace"''」 :VI - 終結部: 「希望と栄光の国(''"Land of Hope and Glory"'')」 ==歴史 == 1901年にヴィクトリア女王が崩御すると、その息子エドワード7世の戴冠式の調整がほどなく着手された。この年の暮れにコヴェント・ガーデン・グランドオペラ会社はエルガーに、翌年7月に計画されている戴冠式前夜のロイヤル・ガラの作品を委嘱した。エルガーはベンソン(もしかしたらこれは王の要請かもしれない)を台本を提供させるために招聘した。ベンソンは作家でもあり音楽家でもあった。このコラボレーションは大成功した。 王はエルガーに『威風堂々』第1番のトリオの部分に歌詞がつけられたらと示唆を与えた。エルガーは王の示唆を採りあげ〔これには彼の友人から、はっきりと反対のアドバイスがあった。〕、「頌歌」のクライマックスにこの曲を組み込むために、歌詞の作成をもとめた。エルガーは1902年2月に書きはじめ、3月末までに声部を書き終えた。その内訳は I, III, IV, V VIであった。それからベンソンは、アレクサンドラ王妃にふれた歌の必要性を実現させ、「古代の諸王の娘」を加えた。これはエルガーがしぶしぶ「王が戴冠したまわんことを」の後に付け加えた。エルガーは「英国よ、自問せよ」を「王が戴冠したまわんことを」の後に続けさせたかったのである。 ブージー出版は、大変な人気を博したので〔声楽の楽譜はブージー社から出版された。〕、エルガーに「希望と栄光の国」の改訂版を求め、それは別の曲として作成された。事実、ロンドンでの「頌歌」初演の1週間前の「戴冠式コンサート」でクララ・バットによって歌唱され(音声ファイル参照)、大成功をおさめた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「戴冠式頌歌」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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