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戸塚 九一郎(とつか くいちろう、1891年3月27日 - 1973年10月13日)は、日本の官僚、政治家。徳島県知事、山口県知事、宮城県知事(第28代)、福岡県知事、北海道庁長官(第25代)、労働大臣(第8代)、建設大臣(第8代、第9代)、北海道開発庁長官(第5代、第6代)、衆議院議員(3期)を務めた。 == 来歴・人物 == 静岡県出身。酒造業・町長、戸塚藤平の三男として生まれる。掛川中学(現在の静岡県立掛川西高等学校)、一高を経て、1917年7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。同年11月、内務省に入り香川県属となり内務部地方課に配属。1918年10月、高等試験行政科試験に合格。 1919年9月、福島県安積郡長に就任。以後、福島県理事官・内務部学務課長、兵庫県警察部工場課長、兵庫県工場監督官、東京府内務部地方課長、神奈川県書記官・学務部長、警視庁書記官・衛生部長、兵庫県書記官・学務部長、京都府書記官・学務部長、大分県書記官・警察部長、兵庫県書記官・内務部長、福岡県書記官・内務部長などを歴任。 1934年10月、徳島県知事に就任。以後、山口県知事、宮城県知事を経て、1939年9月、北海道庁長官に就任。1944年12月、福岡県知事に転じた。1945年6月、九州地方総監に転じ終戦を迎える。同年10月、九州地方総監が廃官となる。 1947年11月に公職追放となり、1951年9月に解除された。1952年10月、第25回衆議院議員総選挙に静岡県第1区で自由党から出馬し当選。以後、1955年2月の第27回総選挙まで連続三回当選。1958年5月の第28回総選挙には出馬せず引退した。 1952年、第4次吉田内閣で労働大臣、建設大臣、北海道開発庁長官として初入閣。1953年に発足した第5次吉田内閣でも建設大臣、北海道開発庁長官を務めた。 他に、首都建設委員会委員長、大日本報徳社社長、苫小牧港開発社長などの要職を歴任した。 1973年10月13日死去。享年82。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「戸塚九一郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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