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戸塚瓮浦 : ミニ英和和英辞書
戸塚瓮浦[とつか]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [と]
 【名詞】 1. door (Japanese-style) 
: [つか]
 【名詞】 1. mound 
: [うら]
 【名詞】 1. inlet 

戸塚瓮浦 ( リダイレクト:戸塚文海 ) : ウィキペディア日本語版
戸塚文海[とつか ぶんかい]
戸塚 文海(とつか ぶんかい、天保6年9月3日1835年10月24日) - 明治34年(1901年9月9日)は、日本海軍軍人医師。最終階級は海軍軍医総監。海軍軍医制度創設に貢献した。
== 経歴 ==
備中国浅口郡玉島村(現在の倉敷市)出身。中桐幸右衛門の息子として生まれ、幕府奥医師・戸塚静海の養子となる。適塾シーボルトに学び、将軍侍医となる。
明治維新後、静岡病院頭となる。明治5年(1872年)、海軍省5等出仕となり、軍医寮学舎長、海軍省医務局長兼本病院長、本病院長などを歴任し、明治9年(1876年)12月、海軍軍医総監少将相当)に進級した。
明治10年(1877年)1月から同16年(1883年)10月まで医務局長に在任。明治15年(1882年)8月から同20年(1887年)1月まで有志共立東京病院長を勤めた。明治28年(1895年)12月、後備役となり、明治33年(1900年)12月1日に退役した〔『官報』第5227号、明治33年12月3日。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「戸塚文海」の詳細全文を読む




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