翻訳と辞書
Words near each other
・ 戸塚道路
・ 戸塚郵便局
・ 戸塚静海
・ 戸塚駅
・ 戸塚高等学校
・ 戸外
・ 戸外制作
・ 戸外室
・ 戸外撮影
・ 戸多村
戸太村
・ 戸太町
・ 戸定が丘歴史公園
・ 戸定会
・ 戸定歴史館
・ 戸定邸
・ 戸定館
・ 戸室山
・ 戸室石
・ 戸尾市場


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

戸太村 : ミニ英和和英辞書
戸太村[と]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [と]
 【名詞】 1. door (Japanese-style) 
: [むら]
 【名詞】 1. village 

戸太村 ( リダイレクト:戸太町 ) : ウィキペディア日本語版
戸太町[とだまち]

戸太町(とだまち)は、1895年明治28年)10月から1901年(明治34年)4月1日まで存在した神奈川県久良岐郡。本項では前身となった戸太村についても述べる。
== 概要 ==
神奈川県久良岐郡北部の町。現在の神奈川県横浜市西区南区にまたがる。
明治初期段階の横浜の既存市街地の西に隣接する区域を領域とした。合併以前の旧村を引き継ぎ、市街地西方の高台(地形分類上は洪積台地)北半の戸部(旧戸部町)、南半の太田(旧太田村)を中心に、南部、大岡川河口部の吉田新田、北部、帷子川河口部の平沼新田および尾張屋新田の5大字から成っていた。元は東海道の本道から外れた農村であったが、横浜港の開港後、横浜市街の拡大とともに各旧村にも市街化の波が及び、下の「沿革」の節に見るように明治初年までに市街化した区域には野毛町、伊勢町、平沼町黄金町伊勢佐木町などの新町が順次起立した。それらの区域および戸部町のうち既に市街化していた横浜道沿いの区域は1878年(明治11年)の郡区町村編制法により横浜区に組み込まれ、1889年(明治22年)の市制施行により横浜市となった。同年の町村制施行で戸太村となったのは、この時点でまだ既存市街地に組み入れられていなかった区域である。しかし間もなくこの区域にも都市化は波及し、1895年(明治28年)に町制を施行して戸太町となり、1901年(明治34年)に横浜市に編入された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「戸太町」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.