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戸山競馬 : ミニ英和和英辞書
戸山競馬[とやまけいば]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [と]
 【名詞】 1. door (Japanese-style) 
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
競馬 : [けいば]
 【名詞】 1. horse racing 
: [うま]
 【名詞】 1. (1) horse 2. (2) promoted bishop (shogi) 

戸山競馬 : ウィキペディア日本語版
戸山競馬[とやまけいば]
戸山競馬(とやまけいば)あるいは戸山学校競馬陸軍戸山学校西側隣接地、現在の新宿区大久保3丁目(早稲田大学理工学部キャンパスや保善高校戸山公園西側あたり)に1879年(明治12年)7月に開設された戸山学校競馬場で開催された競馬。主催は共同競馬会社で1879年(明治12年)秋から1884年(明治17年)春まで春秋に開催された。しかし、当時の戸山は交通が不便だったため共同競馬会社主催競馬は1884年(明治17年)秋場所からは上野不忍池に移された。
==グラント将軍来日と戸山学校競馬場開設==
1879年(明治12年)6月、アメリカ合衆国前大統領グラント将軍が来日した。グラント将軍一行は7月3日に横浜に到着したが、飛行機のない時代、明治政府にとって国家元首を経験した国賓級の人物を迎えることは初めてでその歓迎ぶりは尋常なものではなかった。2か月余りの滞在中政府は様々な歓待行事を行った。その歓待行事の一つとして政府は競馬開催を計画する。宮内省・外務省が主唱して陸軍戸山学校西側隣接地に競馬場を新設、競馬場は7月上旬に竣工した〔日本中央競馬会1967、32-42頁。〕
。競馬場の馬場は楕円形で一周は1280メートル〔日高1998、36-37頁。〕。陸軍が競馬を執行することになり、臨時競馬規則を定める。出走馬は内国産馬(日本馬)と雑種に分け、また官有馬と個人所有の馬を区別する(賞金は個人所有馬に手厚くする)。横浜根岸競馬で勝利した馬には勝利数に応じてハンディ(負担重量の増加)を付る。出走馬の検査の7ないし10日前に報知する。などの規則を細かく設け競走番組は10回行う。第一回目の競走は内国産官馬のレースでレース名は「一の谷」距離は3/4周(960メートル)賞金は7円、第二回目も内国産官馬のレースで「三方が原」960メートル、第三回目は個人所有馬で内国産馬雑種馬混合でレース名は「衣川」賞金は30円、第四回目のレース名は「桶狭間」、第9回目のレースは内国産個人所有馬のレース「宇治川」で距離は1周1280メートル賞金額75円など。レース名はすべて古の合戦場の地名である。開催日は8月20日とし8月9日には陸軍卿西郷従道名でグラント将軍に招待状を出す。当日には明治天皇がご臨幸されグラント将軍およびその随員たち、日本側は宮家や旧大名、政府高官がこぞって参加し競馬を観覧される。第1レースは宮内庁の馬「戸来」が勝ち、第2レースは陸軍の馬「吉川」、第3レースは陸軍林少佐所有の馬「花房」が勝ち、もっとも賞金の高い第9レースは宮内省の調馬師木村介一所有の「雷」が勝つ。明治天皇は1時から5時まで観戦、グラント将軍は6時すぎまで観戦した〔。
明治政府はこの5日後にも上野公園で流鏑馬犬追物などの騎射をグラントに披露し、グラントは返礼に優良なアメリカ産牡馬を寄贈する。この馬は北海道で種馬となり、多数の優良産駒を生んで日本の馬の改良に貢献した〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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