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戸村 義道(とむら よしみち、明和5年(1768年) - 嘉永7年6月29日(1854年7月23日))は、江戸時代後期の久保田藩第10代横手城代。横手城代戸村義敬の子。弟に戸村七五郎、大山義続(叔父の大山義雅養子)。妹は佐竹義文後室など。夫人は佐竹義路の娘。子に戸村義效がいる。字は子達。通称は十太夫。号は東陵。別号に後草園(ごそうえん)。「秋田武鑑 全」では戸村義通と表記されている。 == 人物 == 書画や詩歌を能くし、文人として名を馳せた。絵画は当初は狩野派、のちに南画を習得したが、画人佐々木原善と知己になりその影響を受け作風を一変させた。寛政6年(1794年)に南蘋派(当時の中国の洋画技法)の画風を習得される為に長崎に原善を留学させた。留学が帰った原善から南蘋派の技法を学び、花鳥図を書いた。嘉永7年、87歳で没した。 なお、天保12年(1841年)から弘化元年(1844年)に草稿が書かれた「秋田武鑑」で戸村氏当主は戸村十太夫義利とあるのでそれ以前に隠居していたと思われる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「戸村義道」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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