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戸沢 正誠(とざわ まさのぶ)は、出羽国新庄藩の第2代藩主。初代藩主・戸沢政盛の次男。 == 経歴 == 慶安元年(1648年)、父が死去すると、正誠が若年であることと末期相続を理由に最初は家督相続を認められず、慶安3年(1650年)8月7日になってようやく相続した。このあたりに幕府の外様大名に対する対応が現れていると思われる。 正誠は藩主権力を強めるため、万治3年(1660年)5月には家老の片岡理兵衛一族を殺害する(片岡騒動)。さらに税制の整備や検地、永松銅山の開発や寺社建立、城下町の建設、家臣の新規召し抱えなどの改革を多数行ない、また、治世が60年の長きにわたったことから藩政が安定化し、新庄藩は最盛期を迎えた。しかし正誠の治世末期から放漫財政のために財政の悪化が見え始める。宝永7年(1710年)2月16日、家督を養子の正庸に譲って隠居した。享保7年(1722年)2月3日、83歳で死去した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「戸沢正誠」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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