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戸田 善紀(とだ よしのり、1945年7月27日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手(投手)。 == 来歴・人物 == PL学園高校では2年の時、控え投手としての夏の甲子園に出場。2回戦では先発として起用されるが日大三に敗れた。翌の春の選抜にエースとして出場し、1回戦の首里高校戦で21奪三振を記録する〔朝日新聞、1963年3月30日付朝刊 (13面)〕。これは現在も選抜大会歴代最多記録である。この大会では2回戦で北海の吉沢勝投手と投げ合い逆転負け。同年の夏は府予選決勝で和田徹のいた明星に敗れる。明星は甲子園で優勝。高校の同期生に四番打者、一塁手の中塚政幸がいた。 に阪急ブレーブスへ入団。二軍暮らしが長かったが、6年目のにプロ初勝利を挙げる〔朝日新聞、1969年8月10日付朝刊 (12面)〕。その後も中継ぎで経験を積み、から先発陣に加わる。に初の二桁勝利を挙げ、チームもリーグ優勝。広島との日本シリーズでも最終第6戦で勝利投手となり、日本一に貢献した。翌の5月11日の南海ホークス戦でノーヒットノーランを達成〔朝日新聞、1976年5月12日付朝刊 (17面)〕。この年も12勝し、チームは日本シリーズ2連覇を果たす。 同年オフに大石弥太郎、森本潔、小松健二と共に稲葉光雄、大隅正人、島谷金二とのトレードで中日ドラゴンズへ移籍となった〔朝日新聞、1976年11月9日付朝刊 (17面)〕。中日に移籍後も息長く先発投手として勝ち星を挙げるが、の7勝が最高で、二桁勝利には届かなかった。限りで現役を引退。 引退後は愛知県名古屋市で「焼肉ハウス戸田」を経営している。 == 詳細情報 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「戸田善紀」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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