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戸田 銀次郎(とだ ぎんじろう、文政12年(1829年)9月 - 慶應元年7月5日(1865年8月25日))は幕末期の政治家であり、水戸藩家老を務めた。諱は忠則。字は孝甫。仮名は銀次郎。幼名は亀之介。家系は戸田氏。父は水戸藩家老・戸田忠太夫忠敞。母は久米新七郎長量の女。銀次郎は戸田氏24世孫にあたる。叔父には水戸藩家老・安島帯刀、従兄弟には水戸藩士・里見四郎左衛門親賢がいる。墓所は茨城県水戸市酒門町の共有墓地。また、靖国神社に祭神として合祀される。 ==家系== 戸田氏は清和源氏の一門にて河内源氏の棟梁・鎮守府将軍八幡太郎源義家の七男・陸奥七郎義隆を祖とする。義隆の孫・森頼定の(森氏の初代)の十男・信義(戸田氏の初代)より発祥するという。または正親町三条家を本家とする藤原氏の家系とも。 戸田氏は三河譜代の名門の家系であり、銀次郎は戸田氏の支流で水戸藩に仕えた戸田有信の後裔にて水戸藩の世臣であった戸田忠敞の嫡男として生まれる。本家は松本藩主たる戸田(松平)家。江戸初期に活躍した初代松本藩主松平康長の叔父・戸田甚三郎重政の孫・戸田三衛門有信に至って水戸藩に仕官し水戸藩士戸田氏の初代となる。歴代の知行は代々1300石。家紋は六曜。叔父は母方の佐竹氏旧臣安島家に養子入りした安島帯刀。従兄弟には里見四郎左衛門親賢がいる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「戸田銀次郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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