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戸野広 浩司(とのひろ こうじ、1947年11月25日 - 1972年12月11日)は、日本の俳優。 == 略歴== 高校時代は演劇部に所属し、地元の劇団にも参加していた。上京して早稲田大学の受験に失敗したのち、劇団青俳の研究生となる〔 毎日新聞 1972年12月9日〕。 1972年、オーディションでテレビ番組『快傑ライオン丸』のライオン丸のライバル「タイガージョー」こと虎錠之介役に起用されて注目される。主役であるライオン丸を上回る人気を集めた。 同年12月11日夜、同番組のロケの宿泊先である滋賀県彦根市の国民宿舎湖城荘でスタッフと酒席を交わしたのち、風呂場に迷い込んだところ誤って転倒、ガラス戸に突っ込んで脇腹を切り、湯船に落ちて出血多量で死亡した。まだ25歳の若さだった。 制作者であるピー・プロダクション社長のうしおそうじが事故の報を受け、旅館へ急行したところ、そこには許婚も駆けつけていたという。また、主演の潮哲也は事故の直前まで酒を呑み交わしており、事故の報をスタッフから聞いて駆け付けた際にはすでに死亡した後であり、潮が落胆しているのを知ったスタッフは翌日の撮影を中止している〔「快傑 風雲ライオン丸」 p112〕。 うしおはその後、フジテレビの別所孝治プロデューサーと2人で四国の実家を訪ねたところ、父親から「本人が自分で求め選んだ道だから、あの子も本望だったでしょう」と言われたことを、忘れ得ない言葉として語っているが、事実は違っている。戸野広の実家は広島県三原市であり、四国ではない。 うしおは戸野広の演技力、人気ぶりに『快傑ライオン丸』の次回作にはぜひ戸野広主演で「タイガージョー」のドラマを作ろうと考えていたという。 戸野広の代役としてタイガージョーを演じることになった福島資剛は劇団青俳で戸野広と共に役者修行をした仲間であり大変親しく、戸野広をあまりにも不憫に思って代役のオファーを何度も固辞していたが、青俳同期生の説得によって漸く承諾に至ったという〔快傑・風雲ライオン丸 (ピー・プロ70'sヒーロー列伝 2) ソニーマガジンズ、2000年9月刊 P142 〕。 事故の2日前に掲載された新聞のインタビュー記事では、「変身時代劇の悪役と聞いて驚いた。でも悪役には興味がある」と答えており、「将来は地方に根をおろした芝居活動をして行きたい」という夢も語っている〔。 台東区谷中には現在、戸野広を記念して作られた小劇場「戸野廣浩司記念劇場」が存在する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「戸野広浩司」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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