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房錦 : ミニ英和和英辞書
房錦[ぼう, ふさ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ぼう, ふさ]
 【名詞】 1. tuft 
: [にしき]
 【名詞】 1. brocade 

房錦 ( リダイレクト:房錦勝比古 ) : ウィキペディア日本語版
房錦勝比古[ふさにしき かつひこ]

房錦 勝比古(ふさにしき かつひこ、1936年(昭和11年)1月3日-1993年(平成5年)7月21日)は、東京府東京市(現:東京都大田区)生まれで千葉県東葛飾郡南行徳村(現:市川市)出身の、若松部屋(一時期、西岩部屋)に所属した大相撲力士。本名は櫻井 正勝(さくらい まさかつ)→松崎 正勝(まつざき -)。現役時代の体格は176cm、118kg。得意手は右四つ、寄り、押し、いなし。“褐色の弾丸”と異名を取った。最高位は西関脇(1959年(昭和34年)7月場所・同年9月場所)。
== 来歴・人物 ==
実父が若松部屋の行司7代式守錦太夫(のち9代式守与太夫)であった事が縁で、1952年(昭和27年)1月に若松部屋へ入門し、同年1月場所で初土俵を踏んだ。当初の四股名は、「小櫻」。「房錦」の四股名は出身地の千葉県(南部の旧称・安房)に因んだものだが、最初は「総錦」と名乗るはずが、間違えて「房錦」と書かれた。後に訂正したが成績が振るわなかったため、「房錦」に戻した。
その間、師匠の交代(元小結・射水川(若松)→元前頭3・鯱ノ里(西岩、1956年(昭和31年)より若松に名跡変更))に伴い、所属部屋の名が「西岩部屋」となっていた時期があった。
1957年(昭和32年)5月場所、21歳で新入幕。この場所では大活躍し、14日目まで11勝3敗と絶好調で千秋楽を迎え、対戦相手はただ1人12勝2敗の新小結安念山、勝てば優勝決定戦に持ち込めたが流石に負けた。それでも新入幕で優勝を争った事が評価され、敢闘賞を受賞した。次の9月場所では7勝8敗と負け越したが、鏡里から初の金星を挙げている。
1958年(昭和33年)9月場所と1959年(昭和34年)1月場所では負け越したものの、両場所とも千代の山から金星を獲得。因みに後者のそれは、千代の山を引退に追い込む、房錦自身にとって忘れられない勝利となった。
同年5月場所では前頭筆頭で大関・琴ヶ濱を破って9勝6敗と勝ち越し、翌7月場所では関脇に昇進、ここでも9勝6敗と勝ち越した。この頃から1961年(昭和36年)までが房錦の全盛期で、幕内上位から三役にあって活躍した。
当時土俵を支配した横綱・栃錦には9戦全敗、横綱・若乃花には1勝13敗とまるで歯が立たなかったが、若乃花戦での唯一の勝利が相手を腰砕けにさせて吹っ飛ばすという豪快なものでありこれで通じなかったと言われれば不思議に思うかもしれない。また大鵬柏戸(いずれも、のち横綱)との対戦成績はともに5勝6敗とほぼ互角で撫で斬りも2回、関脇以下でこの両者をここまで苦しめた力士は他に居らず、「柏鵬キラー」と呼ばれた。色黒で固太りの体型で体を丸め突進して押す相撲ぶりから、「褐色の弾丸」の異名を取った。この頃、同部屋の岩風(最高位・関脇)とともに、幕内上位を賑わせた。
その後、膝と腰の故障を悪化させて1965年(昭和40年)9月場所後、新入幕から50場所連続で守った幕内から十両へ陥落。以降は体力の衰えに伴って、十両でも本来の相撲が取れなくなり、1967年(昭和42年)1月場所を以って現役を引退した。
引退後は、年寄山響を襲名。以来、若松部屋付きの親方として後進を指導した。当時の若松親方(元前頭3・鯱ノ里)の娘(松崎友紀子)と結婚して親方の婿養子となっていたため、1979年(昭和54年)8月、師匠の停年退職後に若松部屋を継承した。
しかし、糖尿病が悪化した事で相撲協会の職務が困難となり、山響親方(元大関朝潮(現・高砂親方))を年寄・若松の後継者に指名して1990年(平成2年)3月場所限りで廃業。これにより、射水川→鯱ノ里→房錦と3代に亘って養子縁組が続いてきた若松部屋は系統が変わった。
なお、師匠としては、1人も関取を育てる事ができなかった。
その後は療養生活を送っていたが、1993年(平成5年)7月21日に亡くなった。57歳没。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「房錦勝比古」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Fusanishiki Katsuhiko 」があります。




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