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『所さんのもしも突撃隊』(ところさんのもしもとつげきたい)は、1990年4月19日から1992年3月19日までテレビ東京系列局で毎週木曜 20:00 - 20:54 (JST) に放送されていたバラエティ番組である。 == 概要 == 「もしも」をテーマにした番組で〔1990年4月19日 毎日新聞夕刊のテレビ欄での本番組の紹介記事より〕、レギュラー陣は『もしも突撃隊』と呼ばれ、番組開始当初は子供たちの疑問に答えたり、実験やいたずらを仕掛けたりするというコンセプトの番組だった〔ザテレビジョン(KADOKAWA)1990年4月20日号 79ページでの本番組の紹介記事より。〕。初期の頃は実験企画、対決企画の『もしも大実験』、どっきり、いたずらの企画『もしもウオッチング』のコーナーがあり、同じく初期の頃は稲川淳二の『淳ちゃんの家庭訪問』、『外人体験ウォッチング』のコーナーを行っていた。その後『もしも珍商売』、『もしも初体験』、『スタジオ研究所』、『変わりダネコーナー』、『あのスターにもう一度』、『もしも大疑問』、『ゲストさんは何位?』(ゲストの子供の頃の写真を見せてゲストを当てるコーナー)、『ズブシロ見習いコーナー』と言ったコーナー・企画を経て、後期には、有名人が持参した庶民的な料理が高級料理に変化するという企画『もしも残りで作ったら』、末期の6ヶ月間は変わった健康法・療法・美容法を紹介する企画『ダニエル・カールの日本の健康法』を行うといった具合に変化していった〔朝日新聞、毎日新聞、読売新聞各紙テレビ欄(1990年4月19日~1992年3月19日)、ザテレビジョン(KADOKAWA、1990年4月~1992年3月)〕。 様々なスポーツ、職業訓練などに挑戦するチャレンジ企画『もしもチャレンジ』コーナーは第1回から最終回まで一貫して放送され、最初は素人がチャレンジャーとして出演していたが、チャレンジャーは1990年7月から三田文代に、同年9月から飯島久代に交替し、以後飯島が最終回までレギュラー出演していた。1991年3月21日、1991年9月12日、1991年9月19日、1991年12月26日(2時間スペシャルで放送)、そして1992年3月5日から3月19日までのラスト3週はいずれも飯島のチャレンジ企画特集が組まれるなど、この企画は当番組の中心的存在になっていった〔。 なおスタジオセットは1991年9月までは障子などが使われた和風のセットだったが〔ザテレビジョン(KADOKAWA)1991年4月26日号 96ページでの本番組の紹介記事より。〕、1991年10月からログハウス風のセットに変わった〔ザテレビジョン(KADOKAWA)1991年10月11日号 121ページでの本番組の紹介記事より。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「所さんのもしも突撃隊」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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