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扇町京子 : ミニ英和和英辞書
扇町京子[おうぎまち きょうこ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [おうぎ]
 【名詞】 1. folding fan 
: [まち]
 【名詞】 1. (1) town 2. (2) street 3. road 
: [みやこ, きょう, けい]
 【名詞】 1. capital 2. metropolis
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)

扇町京子 : ウィキペディア日本語版
扇町京子[おうぎまち きょうこ]

扇町 京子(おうぎまち きょうこ、1940年11月 - )は、日本の女優である〔田中, p.85-86.〕〔キネ旬, p.132-133.〕〔鈴木, p.145, 252.〕〔''扇町京子''、''jlogos.com'', エア、2014年7月18日閲覧。〕〔国立国会図書館サーチ 検索結果、国立国会図書館、2014年7月18日閲覧。〕〔''扇町京子''東京国立近代美術館フィルムセンター、2014年7月18日閲覧。〕〔''扇町京子''、日本映画情報システム、文化庁、2014年7月18日閲覧。〕〔''扇町京子''日本映画製作者連盟、2014年7月18日閲覧。〕〔''扇町京子''KINENOTE, 2014年7月18日閲覧。〕〔''扇町京子''日本映画データベース、2014年7月18日閲覧。〕〔''扇町京子''テレビドラマデータベース、2014年7月18日閲覧。〕。ハイティーンのころに新東宝の脇役女優としてデビュー〔〔〔、三原葉子万里昌代に続く「第三のグラマー」として売り出された〔内外, p.124.〕〔研究会, p.157.〕。同社倒産後は大蔵映画成人映画を中心に主演、黎明期の成人映画界のスターであった〔〔〔。『やくざ芸者』(1965年)で映画監督としてもデビュー〔〔〔〔Sharp, p.294-295.〕、日本で初めての「成人映画界の女性監督」として知られる〔。
== 人物・来歴 ==
1940年昭和15年)11月、愛知県に生まれる〔〔〔。
新東宝に入社、満19歳になったばかりの1960年(昭和35年)1月13日に公開された小畑絹子の主演作『0線の女狼群』(監督三輪彰)に「夜の女」役で出演して、映画界にデビューした〔〔〔。ただし東京国立近代美術館フィルムセンターの所蔵作品データベースによれば、前年の1959年(昭和34年)11月28日に公開された宇津井健の主演作『続 雷電』に端役で出演、扇町の名がクレジットされている〔。以降、同社が倒産する1961年(昭和36年)8月31日まで同社に在籍し、端役・脇役出演を続けた〔〔〔〔〔〔。主演女優ではなかったが、『小説倶楽部』(桃園書房)や『読切倶楽部』(三世社)等の小説誌の巻頭口絵・グラビアページに写真を掲載するプロモーションが行われた〔。大蔵貢社長就任以降の同社後期の看板女優であった「グラマー女優」の三原葉子、万里昌代に続く「第三のグラマー」として売り出され、認知を広げる過程にあった〔〔〔。同社倒産以降、同社の企画者であった佐川滉佐川プロダクションで製作した『黒と赤の花びら』(監督柴田吉太郎)に出演〔〔、同作は新東宝配給の後身である大宝が配給し、1962年(昭和32年)1月14日に公開された〔〔〔〔。
同年1月、新東宝の社長であった大蔵貢(1899年 - 1978年)が大蔵映画を設立、扇町は協立映画が製作し、大蔵映画が配給した成人映画『』(監督小林悟、主演香取環)に出演〔〔〔〔、同作は同年2月27日に公開された〔〔。同作はのちに「ピンク映画第1号」とみなされた作品である〔〔〔。同年4月7日に公開された大蔵映画の大作『太平洋戦争と姫ゆり部隊』(監督小森白)にも看護婦役で出演したが〔〔〔〔、以降、成人映画に多く出演〔〔〔〔〔、『行為の果て』(監督辰巳敏輝、1964年)、『情怨の渦』(監督大橋秀夫、1964年)、『女の悶え』(監督高木丈夫、1965年)、『素肌のおんな』(監督小川欽也、1965年)、『肉体の河』(監督木俣堯喬、1966年)、『女体標本』(監督木俣堯喬、1966年)等に主演した〔〔〔〔「プロ鷹クロニクル」への招待 神戸映画資料館、2012年9月付、2014年7月18日閲覧。〕〔なぜ、いま「本木荘二郎」なのか!? 、神戸映画資料館、2012年9月付、2014年7月18日閲覧。〕。『肉体の河』は木俣堯喬(1915年 - 2004年)の監督デビュー作である〔。『日本映画発達史』の田中純一郎は、同書のなかで黎明期の成人映画界のおもな出演者として、扇町の名を筆頭に、橘桂子、城山路子(光岡早苗と同一人物)、内田高子香取環新高恵子松井康子西朱実朝日陽子火鳥こずえ華村明子森美沙湯川美沙、光岡早苗、路加奈子有川二郎里見孝二川部修詩佐伯秀男を挙げている〔。大蔵の実弟・近江俊郎の監督作『その結婚異議あり』(配給大映、1963年)や『東京オリンピック音頭 恋愛特ダネ合戦』(配給松竹、1963年)、『この道赤信号』(配給大映、1964年)等で、大蔵映画以外の一般映画にも脇役出演もしている〔〔〔〔〔〔。連続テレビ映画にもゲスト出演しており、新東宝出身の石川義寛〔、2014年7月18日閲覧。〕がメイン監督を務めた『第7の男』(製作東北新社フジテレビジョン)の第10話『夜の罠』に出演、同作は1964年(昭和39年)12月29日に放映された〔。
満25歳になる1965年(昭和40年)11月、志摩みはるを主演に成人映画『やくざ芸者』(配給センチュリー映画社)を監督、映画監督としてもデビューするが、同作が最初で最後の監督作になった〔〔〔〔〔。ルポライター鈴木義昭、イギリスの日本映画研究家のジャスパー・シャープによれば、扇町は大蔵貢の愛人であったといい〔〔、シャープは、扇町の監督デビューは大蔵による特別待遇であると指摘している〔。翌1966年(昭和41年)には引退した〔〔〔〔〔〔〔。
松竹大船撮影所出身の川口のぶ(1936年 - )が、東映京都撮影所に移籍した時代に「扇町景子」あるいは「扇町恵子」と名乗っており〔〔、2014年7月18日閲覧。〕、これを「扇町京子」と混同する資料がある〔〔〔〔〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「扇町京子」の詳細全文を読む




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