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手宮駅(てみやえき)は、かつて北海道小樽市にあった日本国有鉄道(国鉄)手宮線の貨物駅(廃駅)である。1985年(昭和60年)11月5日同線の廃止に伴い、廃駅となった。 == 歴史 == * 1880年(明治13年) * 9月28日:米国貨物船ジェラルド・C・トベイ号手宮入港、鉄道機材荷揚げ。幌内鉄道のレール敷設が開始される〔北海道鉄道百年史 上・中・下巻 昭和51年-56年 日本国有鉄道北海道総局発行〕〔手宮駅駅史100年のあゆみ 昭和55年10月 手宮駅発行〕。 * 10月:転車台設置〔。 * 10月10日:手宮工場設置〔。 * 10月24日:手宮 - 熊碓第4隧道間4.8kmレール敷設完了。弁慶号にて試運転〔。道内での初の鉄道運転。 * 11月11日:官営幌内鉄道の駅として仮営業開始。貨物のみ取扱い。 * 11月28日:手宮 - 札幌間開通、正式開業〔。 * 12月:石炭船積用海上桟橋450m(手宮さん橋)設置および積込線敷設完了〔。 * 1881年(明治14年) * 2月:仮停車場竣工〔。客扱い開始〔北海道鉄道百年史 上巻 P45によると、明治14年6月11日改正時刻表では「並列車」編成は、上等客車1両、並等客車2両、函車1両、台車2両の計6両編成。また「荷物列車」編成は、並等客車1両、函車4両、台車8両の計13両であった。〕。 * 12月:手宮工場に機関室設置〔。(後の手宮機関庫) * 1882年(明治15年)11月14日:幌内駅から当駅へ幌内炭砿の運炭が開始〔。 * 1884年(明治17年)11月:木造平屋建停車場竣工〔。 * 1885年(明治18年)12月:レンガ石造の機関庫(現在は鉄道記念館内に保存)竣工〔。 * 1889年(明治22年)12月11日:北海道炭礦鉄道に譲渡。旅客・荷物取扱い開始〔。一般駅。 * 1893年(明治26年) * 2月1日:当駅の起点を、手宮さん橋末端から停車場の位置へ変更。これに伴い-0M34C(約-0.68km)のマイル改程〔。 * 3月26日:手宮さん橋延長工事竣工(680m)〔。当駅 - 桟橋間の貨物線再開。 * 1898年(明治31年) * 上期:跨線橋設置〔。 * 下期:駅舎増築及び模様替え〔北海道炭礦鉄道会社 第十九回営業報告。〕。 * 9月:手宮工場が手宮製作所に改称〔。 * 12月4日:手宮製作所が火災。蒸気機関車5両焼失〔。 * 1901年(明治34年)11月6日:手宮さん橋老朽化により、当駅 - 桟橋間の貨物線停止。後に高架桟橋が完成するまで石炭船積みは艀を利用した。 * 1903年(明治36年)1月:手宮工場が岩見沢工場手宮分工場となる〔。 * 1906年(明治39年)10月1日:北海道炭礦鉄道の鉄道路線国有化により、国有鉄道に移管〔。 * 1907年(明治40年)7月1日:旅客取扱い休止〔。 * 1909年(明治42年)10月12日:国有鉄道線路名称設定により、小樽駅(初代、現在の南小樽駅) - 当駅間が手宮線となる。 * 1910年(明治43年)10月11日:荷物取扱い休止。貨物駅。 * 1911年(明治44年)12月:高架桟橋(長さ391m、満潮海面からの高さ18.6m)竣工。手宮さん橋を廃止(正確な廃止日は不明)〔。 * 1912年 * (明治45年)6月:高架桟橋使用開始に伴い、当駅 - 桟橋間の貨物線再開〔。 * (大正元年)8月11日:旅客・荷物取扱い再開〔。一般駅〔現・色内町3丁目4番地に旅客駅を分離したのがこの時期からとみられるが詳細不明。1916年(大正5年)の市街地図(北海道立図書館北方資料デジタルライブラリー) では既に分離しているのが確認できる。これ以降従来の手宮駅は手宮貨物駅と書かれることがしばしば見られる。〕。 * 1914年(大正3年)12月15日:手宮工場が苗穂に移転〔。 * 1921年(大正10年)8月:北海製罐小樽工場開設、専用線敷設。 * 1924年(大正13年)12月27日:当駅構内岸壁で荷役中の火薬10tが大爆発。死者行方不明者94名、負傷者300余名、構内施設及び船舶、港湾損壊〔国立公文書館デジタルアーカイブ 陸軍省「小樽港内火薬爆発災害の件」 〕。 * 1925年(大正14年)9月:日本製粉小樽工場開設、専用線(厩専用線)敷設〔1923年(大正12年)6月6日付けで厩町住民により、同町までの線路延長と停車場設置の請願が政府に提出されている。停車場が設けられることはなかったが、最終的に厩専用線は高島漁港の北端まで敷かれた。〕。 * 1927年(昭和2年)7月1日:手宮機関庫が小樽築港機関庫手宮分庫となる〔。 * 1936年(昭和11年)頃:厩専用線が高島漁港北端まで延伸。〔昭和10年度「小樽港港湾統計」小樽商工会議所編 1936年(昭和11年)出版 附図、及び昭和12年版「小樽港」小樽港湾事務所編 1937年(昭和12年)出版 附図より。 また、1958年(昭和33年)から1963年(昭和38年)までの間に、同漁港南端の日本製粉工場までに短縮(小樽港湾要覧 小樽市港湾部発行より)。〕 * 1943年(昭和18年)10月1日:旅客・荷物取扱い休止〔。貨物駅。 * 1944年(昭和19年)9月:攻撃目標になるのを避けるために高架桟橋撤去〔。 * 1948年(昭和23年)11月10日:旅客・荷物取扱い再開〔。一般駅。 * 1949年(昭和24年) * 6月1日:日本国有鉄道法施行に伴い、日本国有鉄道(国鉄)に継承。 * 7月2日:小樽築港機関区手宮支区廃止〔。 * 1953年(昭和28年)3月:小野田セメント小樽SS開設、専用線敷設。 * 1962年(昭和37年)5月15日:旅客・荷物取扱い廃止〔。貨物駅。 * 1966年(昭和41年) * 8月23日:片倉チッカリン小樽工場専用線敷設〔。 * 8月26日:駅舎新築移転〔。 * 1967年(昭和42年) * 1月16日:ニップン飼料専用線敷設〔。 * 5月19日:日清製粉小樽飼料工場専用線敷設〔。 * 1969年(昭和44年)12月:ホクレン小樽倉庫設置、専用線敷設。 * 1979年(昭和54年)4月:小野田セメント専用線撤去〔。 * 1985年(昭和60年)11月5日:手宮線廃線に伴い、廃駅〔。 ファイル:Temiya station in HokkaidoTankoTetsudo era.jpg|北海道炭礦鐵道経営時代の手宮停車場 当時の駅舎とホームは機関庫に近い位置にあった。既に跨線橋が設置されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「手宮駅」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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