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扶余神宮(ふよじんぐう)は、日本統治下の朝鮮・忠清南道扶余郡に創建予定だった神社である。造営の途中で日本の敗戦をむかえ、鎮座されることはなかった。 扶余(古名は泗沘)は、日本と関係の深かった百済の最後の都があった地である。朝鮮総督府はこの地に扶余神宮を創建し、扶余を「神都」とすることを計画し〔孫禎睦『日本統治下朝鮮都市計画史研究』(2004年、柏書房、ISBN 9784760126552)〕、1939年(昭和14年)6月15日に官幣大社として創立された〔拓務省告示第2号 官報第3732号(昭和14年6月16日) 476頁〕。祭神は朝鮮と関係の深い応神天皇・神功皇后(三韓征伐)および斉明天皇・天智天皇(白村江の戦い)とすることを予定していた。1943年(昭和18年)の鎮座を目指していたが、社殿の基礎工事がほぼ完了した程度で1945年(昭和20年)8月の敗戦をむかえ、11月17日に廃止された〔内務省告示第264号 官報第5660号(昭和20年11月22日) 1頁〕。 ==脚注== 〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「扶余神宮」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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