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承応の変[じょうおうのへん] 承応の変(じょうおうのへん)は、慶安5年9月13日(1652年10月15日)に起こった事件。戸次庄左衛門の乱、承応事件と呼ばれることもある。主な首謀者は別木庄左衛門、林戸右衛門、三宅平六、藤江又十郎、土岐与左衛門。 牢人の別木庄左衛門が、同士数人とともに徳川秀忠夫人崇源院の27回忌が増上寺で営まれるのを利用し、放火して金品を奪い、老中を討ち取ろうと計画した。しかし、前年に起こった慶安の変同様に仲間の1人が老中松平信綱に密告したため、別木庄左衛門らが捕らえられ、処刑された。備後福山藩士で軍学者の石橋源右衛門も、計画を打ち明けられていながら幕府に知らせなかったという理由で、ともに磔刑に処せられている。また、老中阿部忠秋の家臣である山本兵部が別木庄左衛門と交際があったということで、同僚である松平信綱は忠秋に山本の切腹を命じた。 事件から5日後の9月18日、承応元年と改元された。事件は慶安5年に起きたが、決着がついたのが改元後の承応元年だったため、承応の変あるいは承応事件といわれる。 慶安の変同様、それまでの武断政治の結果としての浪人増加による事件として位置づけられる。以後、幕府は文治政治へ政治方針を転換した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「承応の変」の詳細全文を読む
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