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継承国(けいしょうこく)、承継国(しょうけいこく)とは、ある国家が消滅したのち、その国が締結していた条約上などの義務や権利を引き継ぐ国。 複数の新国家が旧国家の領土を分割した場合や、旧国家の消滅後に長い空白期間をおいて新国家が成立した場合などに問題になる。また、革命政権などの樹立により、前政権による対外債務や各条約の継承を受け入れない場合、国家が併合する場合に消滅する側の締約していた条約の継承なども問題となる。サクセッサーステート(継承国)方式は、国際法における国権の在り様に関する主張(継承国理論)であり、必ずしも国際法上の明確性を持つものでない。 主な例としては、ソビエト連邦に対するロシア連邦、チェコスロバキア共和国に対するチェコ共和国など。ユーゴスラビアについては、セルビア・モンテネグロ問題に対する反発から10年近くにわたって継承が認められず、「旧ユーゴスラビア」という呼称が用いられた。 ==概要== 国家継承の問題は古くから王朝や領土・財産などの継承(包括継承、分割、併合等)問題として存在したが、国際慣習法として確立されたものではなく、本格的に議論されはじめたのは第二次世界大戦後のことである。 19世紀には、政府の形態が変更しても国家が同一のままなら当該国家の他国に対する権利義務は影響を受けることがなく継続するということは学説や国家実行から認められており、これは包括的継承説とされる〔ベルギーの独立を承認した1831年2月19日のロンドン議定書においては「より高い秩序のこの原則(包括的継承の原則)によれば、人民の内部組織に生じた変更がどのようなものであろうとも、条約はその義務的性格を喪失するものではない」とされた。「条約の継承に関する第2次大戦前の日本の実行」森川俊孝(横浜国際社会科学研究第12巻第2号2007年8月)PDF.P2および脚注8〕。 一方で19世紀末から包括的継承に否定的な説が登場し(継承否定説 A.Rivierなど)むしろ第二次世界大戦以降の議論では継承否定説が国家継承理論の基礎をなすものと考えられるようになった。これは旧宗主国からの独立が相次ぎ、これら新国家に有利なように国際法が解釈され実行されたためである。国連の国際法法典化事業の準備機関である国際法委員会(ILC)は、1949年に研究課題として国家継承を提示し、具体化のための小委員会を1962年に設置した。 1967年国際法委員会(ILC)は国家継承の問題を①条約に関する国家継承と、②条約以外の事項に関する国家継承に区分し、条約に関する部分は1972年に草案を作成(1972年草案)、1978年条約に関する国家承継に関するウィーン条約としてまとめられた。 条約以外の事項については公的財産の継承に関する草案が1973年に提出され、1981年には草案の名称が「国家財産,国家文書及び国家債務に関する国家承継条約(国家財産等承継条約)草案」に変更されILCで採択され、国連総会の審議に委ねられた。国連総会では1983年に全権国際会議を開催することが決議された〔外交青書1982年(昭和57年度)版第6節〕。日本政府はこの条約草案に対して疑義ありとして採択会議を棄権した。また条約自体も発効しておらず締約国も存在していない(注:1987年時点)〔第109回参議院内閣委員会3号(昭和62年09月01日)政府委員(斉藤邦彦) による。発言者番号152〕。 ILCでは継承国の成立する事例として大きく①国家の結合と②国家の一部の分離に区別し、国家の一部の分離の具体例として新国家の独立や国家の消滅を挙げている(1972年草案および改正1974年草案)。これらの草案や条約は戦後の新国家独立ラッシュの後追いのものであり、また国家継承に関するウィーン条約についても各国の法的歴史観をもとに十分な支持を得られておらず、署名ののち批准したのは22国にとどまる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「継承国」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Succession of states 」があります。 スポンサード リンク
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