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antidepresive drug =========================== ・ 抗 : [こう] (pref) anti- ・ 抗う : [あらがう] 1. (v5u) (1) to dispute 2. to argue 3. to be at variance 4. (2) to compete 5. to contest 6. (3) to deny (e.g., evidence) ・ 抗うつ : [こううつ] (n) antidepressant
抗うつ薬(こううつやく、antidepressant)とは、典型的には、抑うつ気分の持続や希死念慮を特徴とするうつ病のような気分障害に用いられる精神科の薬である。不安障害のうち全般性不安障害(GAD)やパニック障害〔パニック障害 厚生労働省〕、社交不安障害、強迫性障害〔強迫性障害 厚生労働省〕、心的外傷後ストレス障害(PTSD)〔『PTSDの治療薬処方の手引き』 日本トラウマティック・ストレス学会〕にも処方される。投薬による結果がよくないため非推奨であるものに、摂食障害や急性ストレス障害がある。添付文書にて適応が認められていない慢性痛、月経困難症などへの適応外使用が行われる場合がある。適用外の処方には議論がある。場合によっては、アメリカでは司法省による制裁が行われている。 多くの抗うつ薬は、効果の発現が2~6週間遅れるが、効果はしばしば1週間後に見られる。しかしながら投与直後から、自殺の傾向を高める賦活症候群の危険性がある〔。日本でも添付文書にて、24歳以下で自殺念慮や自殺企図の危険性を増加させることを注意喚起している〔 抗うつ薬の有効性が議論されており、現在では軽症のうつ病に対しては、必ずしも薬剤の投与は一次選択にはなっていない。また使用にあたっても1種類の抗うつ薬の使用が原則とされる。2010年には、精神科領域の4学会により、医師に対して不適切な多剤大量処方に対する注意喚起がなされている。 抗うつ薬の使用は、口渇といった軽いものから、肥満や性機能障害など様々な#副作用が併存する可能性がある。2型糖尿病の危険性を増加させる〔。さらに他者に暴力を加える危険性は抗うつ薬全体で8.4倍に増加させるが、薬剤により2.8倍から10.9倍までのばらつきがある〔。 急に服薬を中止した場合、ベンゾジアゼピン離脱症状に酷似した離脱症状を生じさせる可能性がある〔。離脱症状は、少なくとも2~3週間後の再発とは異なり、数時間程度で発生し、多くは軽度で1~2週間でおさまる〔。離脱症状の高い出現率を持つ薬剤、パロキセチン(パキシル)で66%やセルトラリン(ゾロフト)で60%がある〔。議論に続き、2013年に発行された『精神障害の診断と統計マニュアル』第5版(DSM-5)では、抗うつ薬中断症候群の診断名が追加された。 製薬会社は、特許対策のために分子構造を修正し似たような医薬品設計を行っていたが、2009年にはグラクソスミスクラインが神経科学分野での採算の悪さを理由に研究を閉鎖した。その後、大手製薬会社の似たような傾向が続いた。 ==歴史== 第二次世界大戦が終わると、V2ロケットの燃料の1つであるヒドラジンの在庫を、製薬会社は非常に安価に入手し、構造を変化させて新しい化合物を作った。ホフマン・ラ・ロッシュ社は、ヒドラジン化合物のイソニアジドとに結核菌を死滅させる結核薬の特性を見出した。1952年には、この結核薬による治療によって、患者が楽しそうに踊りだすといった多幸症の副作用が知られ、その経緯で精神科の患者で試験され、1956年にはイプロニアジドのうつ病への有効性が見出された。イプロニアジドは、モノアミン酸化酵素阻害薬(MAOI)(日本では未認可)と呼ばれる種類の抗うつ薬である。 同じ頃、三環系という種類の抗うつ薬も発見された。1856年にイギリスの化学者ウィリアム・パーキンが、コールタールから得られるフェノチアジンに似た化合物が染料として用いることができることを発見した。このフェノチアジンに似た合成染料のイミノベンジル系のサマーブルーから、スイスのガイギー社がイミプラミンを合成した。1955年にローランド・クーンが、イミプラミンをメランコリーで入院中の患者に投与し、1957年にはチューリッヒの国際精神医学会議において、うつ病患者の症状を軽減させたと報告した。翌1958年に、イミプラミンはトフラニールの商品名で販売された。 ファイル:Phenothiazin.svg|フェノチアジンは、殺菌剤や精神科治療薬の基礎となる構造を持つ。 ファイル:Imipramine.svg|イミプラミンは、3つの環状の化学構造を持ち、これに類似した構造を持つ抗うつ薬は、三環系抗うつ薬と呼ばれる。 ファイル:Clomipramine.svg|三環系抗うつ薬のクロミプラミン。当初アメリカでは、模倣薬であるとして認可されなかった。 ファイル:Amitriptyline.svg|三環系抗うつ薬のアミトリプチリン また同じ頃に、うつ病を説明する仮説が生まれた。1954年に神経伝達物質であるセロトニンが脳内に存在することが報告され、 1960年にジョージ・アシュクロフトにより、うつ病ではセロトニン濃度が低くなっているかもしれないという理論が提唱された。北米ではノルアドレナリンが関与していると考えられており、1965年にアメリカ国立精神衛生研究所(NIMH)のジョセフ・シルドクラウトがうつ病のカテコールアミン仮説を提唱し、うつ病では脳内のノルアドレナリンが減少し、抗うつ薬はこれを増加させるという内容である。 シルドクラウトの理論の根拠には、高血圧剤のレセルピンがウサギのセロトニン、ノルアドレナリン、ドーパミンの濃度を減少させたことや、偽薬と比較してレセルピンが抑うつと不安の症状を改善させたという『ランセット』誌の同じ号のすぐ前のページに掲載された論文がある。しかしながら、『ランセット』誌の同じ号に掲載されたすぐ前のページ、116~117ページに掲載された論文はレセルピンの服用者が自殺傾向を示すというものであった。1970年代には、セロトニンの減少ではないという結論に達したが、抗うつ薬のマーケティングの際に利用されていった。 ドーパミンの発見などで後にノーベル賞を受賞した神経科学者のアルビド・カールソンが、セロトニンの再取り込みだけを阻害する薬を作ろうとし、スウェーデンのアストラ社で抗ヒスタミン薬のクロルフェニラミンの化学構造を修正しを合成し、1972年に欧州のいくつかの国で特許が下り、1982年にツェルミドの商品名で認可された。しかしながら同じ年にアメリカ食品医薬品局の認可を得る際に、ギラン・バレー症候群という致命的な副作用が報告され、市場から消えた。これが世界初の選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)であるとされる。後にクロルフェニラミン自体にセロトニン再取り込み阻害様の作用があることが明らかになったが、特許を取ることができず、特許がなければ臨床試験を行いマーケティングを行い販売し収益を確保するといった採算の見込みはない。 ツェルミドに続いて、フランスのフルニエ社のジュラール・ル・フェールが、抗ヒスタミン薬の分子構造を修正したを開発し、アップステンの商品名で市場に出たが白血球減少の副作用ですぐに市場から消えた。 はじめに市場に生き残ったSSRIは、フルボキサミン(ルボックス)であり、1983年にはスイスにて販売されたのを皮切りに各国で認可されていったが、ドイツでは臨床試験中に自殺と自殺企図が生じて承認されなかった。 プロザック(日本では未認可)の認可は、アメリカとカナダで1988年、イギリスでは1989年であり、この頃までにはベンゾジアゼピン系の薬剤の危険性に関する話題は深刻になっており、不安障害の背後にうつ病があるとして販売された。 頭文字を組み合わせたSSRIという単語は、スミスクライン・ビーチャム(後のグラクソ・スミスクライン社)が、パロキセチンのマーケティングのために作ったが薬の種類を指すまでに一般化した。パロキセチンは、1991年にイギリスでセロキサット、1992年にアメリカでパキシルの商品名で市場に出た。 日本では2000年あたりから、パキシルのマーケティングのために軽症のうつ病を説明する「心の風邪」という言葉が用いられた。 2003年から2004年にかけて、欧米でパロキセチンが小児の自殺を誘発するという試験が隠ぺいされていたという話題が持ち上がると、双極性障害の売り込みへと変わっていった。 ファイル:Venlafaxine_structure.svg|ベンラファキシンは、アメリカで1993年に認可された抗うつ薬である。 ファイル:Desvenlafaxine.svg|は、アメリカで2007年に認可された抗うつ薬である。 2010年ころから製薬会社は、既存の薬の構造を少し修正し特許を取得した模倣薬(me too drug)を販売するという手法ではすでに収益の見込みがないとみて、グラクソ・スミスクライン、アストラゼネカ、メルクなどの大手製薬会社が精神科領域の薬の開発から撤退しはじめた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「抗うつ薬」の詳細全文を読む
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