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拓跋平原(たくばつ へいげん、? - 487年)は、中国の北魏の皇族。武昌王。道武帝の曾孫にあたる。 == 経歴 == 武昌王拓跋提の長男として生まれた。武昌王の爵位を嗣いだ。献文帝のとき、柔然を撃退して功績を挙げた。仮節・都督斉兗二州諸軍事・鎮南将軍・斉州刺史に任ぜられた。 471年、司馬小君が晋の後裔を自称して、平陵を拠点に3000人あまりを集め、年聖君を号した。平原は司馬小君を討って捕らえ、平城に送って斬った。473年、劉挙が天子を自称して民衆を扇動すると、平原は劉挙を討って斬った。斉州で飢饉が起こると、平原は私蔵していた米3千斛あまりを粥にして、民衆にふるまった。斉州の民の韓凝之らが宮廷を訪れて平原を称揚すると、孝文帝はこれを見て感嘆した。 平原が平城に帰還すると、連年にわたって軍を率いて漠南に駐屯し、柔然に備えた。のちに都督雍秦梁益四州諸軍事・征南大将軍・開府・雍州刺史となり、長安に駐屯した。487年、死去した。諡は簡王といった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「拓跋平原」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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